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あらすじ

 ヒーリスはロンドンで盗みを働き、ウールズソープの村まで逃げて来た。
 彼は、子供のころから働いていたため、まともな教育を受けたことはなく、読み書きもままならない。
 
 村の人にニュートンに間違われるほどニュートンそっくりの風貌だった彼は、ニュートンの家を訪ねるが、偶然にもニュートンを殺してしまう。
 しかし、「魂学」の技術により飼っていたコマドリに自分の魂を移したニュートンはコマドリになり、外見が自分そっくりのヒーリスに研究の続きをさせようとする。
 
 そんな折、ベアトリクスという貴族の女性の誕生日のパーティが開かれた。
 そこで父親は、「虹は何色でできている?」という問題を出し、解いた者を娘と結婚させるという。
 ニュートンのライバルだったロバート=フックはどちらが正解を出すか勝負を挑んでくるが、ニュートン自身は勝負する気はなかった。
 
 ベアトリクスの恋人だったライアンは、バイオリン製作者で科学のことは詳しくなかったため、ニュートンに問題を解いてくれるようにお願いする。
 プリズムにより虹を作りだすことには成功したニュートンたちだったが、色の境界が分からないため何色だと決めることはできなかった。しかし、ベアトリクスのバイオリン演奏を聴いたヒーリスは、音も音階と同じように七階、つまり七色にするというアイディアを思いつく。
 
 その考え方に感動したベアトリクスの父は、ライアンとベアトリクスの結婚を許す。

魔術師ニュートン

経済学者ケインズの言葉
「ニュートンは近代における最初で最大の合理主義的な科学者であると思われてきたが、むしろ最後の魔術師であったと私は考える」

一六六二年、イギリス、ウールズソープ。
一人の青年が人目を気にしながら歩いている。
彼の名は、ウィリアム=ヒーリス。ロンドンの下流階級の労働者だったが、大学に行きたいという妹のために金を作ろうと、貴族から黄金を奪った強盗だ。
盗んだ黄金は金に替え、自分で稼いだ金だと言って妹に渡すとここまで逃げてきた。
「警察もここまでは追ってこないだろう」
 と安心して立ち止まった瞬間、背後から声をかけられた。
 びくりとして振り返る。
「どうしたんですか、こんなところで? 研究はお休みですか?」
 話しかけてきたのは、小太りの中年男だった。
「は?」
「いつもの実験のことですよ。ニュートンさん。ケンブリッジから戻られて、研究に没頭しているって聞きましたよ」
 彼はヒーリスのことをニュートンだと勘違いしていた。
―ニュートン? 誰だそれ―
 違うと言ったら怪しまれると思ったヒーリスは、
「ええ、まあ」とあいまいに答えた。

 なんとかやり過ごしたかと安心したのもつかの間、別な男が話しかけてきた。
「偶然ですな。出来上がった時計を持って伺おうと思っていたんですよ」
 と彼は、懐中時計を差し出した。
「ご希望通りに、時間測定の機能を付けてあります」
「あ、ありがとう」
 と言って時計を受け取ってから口を開く、
「ニュートンさんの家っていうのは……」
「えっ?」
「あ、いえ。家はどっちの方向だったかなあ。なんて、あははは……」
「いやだなあ、ニュートンさん。からかわないでくださいよ。この丘を越えた向こうの白い家があなたの家じゃないですか」
「そうそう、そうでした」
「研究に没頭しすぎなんですよ。今度、気分転換にクロッケーでもやりませんか」
 とバットの素振りをする。
「ええ、ぜひ……」
 時計屋の男を見送ってから、「ふーっ」と大きくため息をついた。
「俺はそんなにニュートンという男にそっくりなのか?」
 渡された時計を眺めながら考える。
「仕方がない。時計を届けに行くか。その時、ニュートンとやらがどれだけ俺に似ているのか見てやろう」
 そう呟いて、白い家に向かって歩き出した。
ニュートンは十八歳の時にケンブリッジ大学(トリニティ・カレッジ)に入学したが、ロンドンでペストの大流行が起こったため、ペストの蔓延を防ぐために大学が一時閉鎖されることになり、故郷に帰っていた。

 ヒーリスが、ニュートンの家を訪ねると、中年の女性が出てきた。どうやらお手伝いさんのようだった。
「どうも、こんにちは、わたしは……」
「こんにちは、じゃありません。またいたずらしようとしても、そうはいきませんよ。蛇、亀、ねずみ。もう何を出しても驚きませんから」
「えっ、あ、あの」
「分かったら、とっとと部屋に戻ってください」
ヒーリスは、お手伝いさんにもニュートンに間違われ、彼の部屋がある二階へと乱暴に追いやられた。
「いたずらって……、ニュートンってのはいったい何歳なんだよ」
 呟きながら階段を上り、一番近くのドアをゆっくりと開け、中を覗き込む。
「うーん。うーん」
 と青年が悩みながら、ビーカーに入った液体を持ち上げて、太陽の光に透かして見ていた。彼がニュートンだった。
 好奇心旺盛な彼は、錬金術の研究をしていた。
「やはり、だめか……」
 ため息混じりに言って、ふと目を移した先に、ヒーリスが立っていた。
「えっ、えー」
 自分そっくりな姿に驚いたニュートンは手を滑らせて、持っていた液体を飲んでしまう。
「ぐげー、うがー、ぐおー」
 のた打ち回るニュートン。
びっくりしてヒーリスは駆け寄るが、ニュートンは苦しがり続けた。
そのうちニュートンは、机の引き出しをしがみつくようにして開けると、中から拳銃を取り出し、迷うことなく脳天を打ち抜いた。
「ひえー、自殺しやがった」と床にしゃがみこむヒーリス。
「やばいよ。このままじゃ俺が犯人になっちまう。どうしよう」
青年がおろおろしていると鳥かごの中のコマドリが話しかけてくる。
「何てことしてくれたんだ。死んじまったじゃないか」
 空耳かと思ったヒーリスは辺りを見回す。
「どこ見てんだよ。こっちだよこっち」
 初めて目が合う、ヒーリスとコマドリ。
「やべえ。鳥の声が聞こえた。落ち着け、これは夢だ。悪い悪い夢なんだ」
「夢じゃねえっつうの」
「うわー、鳥がしゃべってる」
 驚いて後ずさりするヒーリス。
「私は鳥じゃない。ニュートンだ」
「はっ、ニュートンは今死んだやつじゃないのか?」
「わたしは科学者でね。『魂学』の研究中に人間の魂を動物に移す方法を発見したんだよ。方法は、金と銀とを一定の比率で混ぜた合金で弾丸を作り……」
「もう方法はどうでもいい。とにかく、私はペットのコマドリ『アルキメデス』君に魂を移したんだよ」
「よかった。死んだんじゃないんだ」
「ぜんぜーん、よくないよ。鳥の格好でこの先どうやって研究を続けろっていうんだよ」
「それならまた別の人間に魂を移せばいいじゃないか」
 急にまじめな声になっていうニュートン。
「それは他人の人生を奪うことになる。殺人と同じだ。わたしがこの研究の成果を公表しないのは、君のように他人の体を乗っ取ろうと考える人間が出てくるのが怖いからなんだよ」
「なるほど、そうですか。なんとかがんばってください。じゃあ、俺はこの辺で……」
 帰ろうとするヒーリスを呼び止めて怒鳴るニュートン。
「待て待て、逃げるっていうのか? 今、外に出ていったら、君は殺人犯だぞ」
「うっ」
「つかまらない方法が一つだけある」
「何?」
「わたしのふりをするんだ。わたしに代わって、この家に住んで研究を続けるんだよ。幸いなことに君は私にそっくりだ。疑う人間はいない」
「ちょ、ちょっと待ってよ。いくら似てるからっていっても、俺は足し算、引き算はおろか、読み書きだってままならないんだよ。研究なんてできっこない」
「大丈夫。私がフォローするよ」
「で、でも……」
 ヒーリスが渋っていると、ドアのほうから声が聞こえた。
「紅茶が入りましたよ」
 びくっとして振り返る。
ニュートンの死体を見られないようにうまく隠して立つ。
「あ、ありがとう。そのテーブルに置いておいてください」
「どうしたんです? 顔色が悪いみたいだけど……」
「心配いりません。ちょっと疲れているだけですから」
「なら、いんですけど、あんまり無理をなさらないでくださいね」
 何とかやり過ごして、ほっとするヒーリス。
「ね。何とかなるでしょ」
 死んでしまったというのにお気楽なニュートンの様子を見て、ヒーリスも心を決めた。
「どうせ、帰るところもないんだし、やるだけやるか」
 時計が十時になったことを知らせた。
 すると、ニュートンは窓際に羽ばたいていった。
 どこからともなく、美しいバイオリンの調べが聴こえてくる。聴く人の心を癒してくれる、やさしい音色だった。
「このバイオリンの演奏は?」
「近くの館に住む貴族の娘さんが弾いているんだよ。名前は、確かベアトリクスだ」
 うっとりと曲を聴くニュートン。
「毎日、朝十時からきっちり十五分間だけ演奏している。わたしは彼女の演奏を聴きながら、紅茶を飲むのが好きでね」
「へえ、彼女に恋をしてるんだ」
「違う」
 と強い口調で言い、
「わたしは女性を好きになったりしない。科学者たるもの独身を貫き通さなければならないからね。恋愛が発展して結婚なんてことになったら、研究に没頭できなくなる」
 十七世紀、科学者は生涯独身というのが普通だった。
「じゃあ、俺も恋愛しちゃだめなの?」
「もちろん」
「ふう、科学者も楽じゃないね」

その日は、夕方からベアトリクス=グリムステッドの十八歳の誕生日パーティが、彼女の住む館で開かれる日だった。
ヒーリスはニュートンを連れてパーティに出かける。
「研究おたくの君にも招待状が来ていたなんてね」
 とヒーリスはコマドリのニュートンに嫌味を言う。
「一応、彼女とは幼なじみだから」
 ヒーリスが、ニュートンとこそこそ話をしていると、話しかけてきた男がいた。
 いかつい感じで、どことなく人を小ばかにした顔が特徴の人物だった。
「これは、これは、ニュートン君。研究さぼってこんなところに来ていていいのかな?」
「こいつはロバート=フックっていう嫌なやつさ。無視しちまえ」
 とコマドリのニュートンは、ヒーリスの耳元で囁く。
フックは、後にばねの伸びの法則や植物の細胞を発見する高名な科学者である。ニュートンは七歳上の彼の研究の批判を行っていたため、彼に嫌われていた。実際、生涯にわたり、万有引力の発見や光の波動説などで幾度となく対立することになる。
「何だ、その変な鳥は?」
「飼ってるんです。名前は『アルキメデス』」
「ほう。じゃあ、『ユウリカ』とでも鳴くのか? あははは……」
 そして、ふてぶてしい態度で去っていった。「ユウリカ」とは、アルキメデスが俗に言う『アルキメデスの法則』を発見したときに叫んだ言葉で、「分かった」という意味がある。
「まったく、ちょっと自分の研究が批判されたからって、根に持ちやがって」
 とニュートンが愚痴る。
 周りの男たちが、今日はお嬢様の婚約相手を選ぶらしい、と話しているのを聴いて複雑な表情をするコマドリのニュートン。
「さあ、パーティにご参加の皆様。本日の主役でありますベアトリクスお嬢様が登場なされます」
 拍手が起こった。
 階段の上にベアトリクスの姿が現れると、よりいっそうの拍手が起こった。ピンク色のドレスがよく似合っていた。触れると散ってしまいそうな可憐な花を思わせる振る舞いに参加者の若い男性は目を奪われていた。
 ベアトリクスはヒーリスと目が合うと軽く笑顔で挨拶した。もちろん、彼女はニュートンだと思っている。
「挨拶し返して」というコマドリの声に、慌てて作り笑いをするヒーリス。
 立ち止まったベアトリクスは、笑顔で言う。
「本日は、こんなにもたくさんの方にお越しいただき、感謝しております。最後までお楽しみください」
 再び全員が拍手した。
 拍手が鳴り止んだころ、ベアトリクスの父であるトルス=グリムステッドが話し始めた。
「皆さんに、重大な発表があります」
 ざわめき立つ会場。
「娘も今日で十八になりました。そろそろ婚約者を決めたいと思っております」
 若い男たちの顔色が変わった。誰もが美しいベアトリクスにあこがれていた。
「しかし、誰でもいいというわけにはいきません。わたしはかねてから、これからの時代に必要なのは科学だと信じてきました。ですから、自分の娘は科学者と結婚させたい」
 会場に来ていた人たちは、思いがけない言葉に驚いた。
「お静かに。わたしの出す課題を解いた者を一流の科学者と認め、娘と婚約させます。その課題ですが……、窓の外を見てください」
 窓の外には、夕日に虹が浮かんでいた。見たこともないような大きな虹だった。
「『あの虹の帯は何色か?』それが課題です。一週間後にわたしを納得させることのできる答えを用意したものに娘との婚約を許すことを約束します」

「ねえ、ニュートン。挑戦するかい?」
 ヒーリスがコマドリのニュートンに訊く。
「くだらない。科学とは人々を幸せに導くもの。勝負の道具じゃない」
「ああ、そう」
 そんな会話をしていると、フックが近づいてきた。
「勝負だな。俺は君よりいい答えを用意するよ」
といって自信満々な様子で去っていく。
「あんなこと言わせておいていいの?」
「別にいいよ」
「分かった。分かった。勝負には参加しない。それでいいんだろ」
ヒーリスの声を、ジョン=ライアンという青年が聞いていた。
ヒーリスとニュートンが館を出るとライアンが話しかける。
「すいません。ちょっと聞いていたんですが、今回の対決には参加しないとか……」
「ええ、興味ありませんから」とニュートンを見ながらヒーリスが言う。
「なら、あの問題の答えをわたしに教えてください」
「えっ?」
「こいつが、ベアトリクスの……」と呟くニュートン。
「どういうこと?」
「ベアトリクスの毎朝の演奏は恋人に向けたものなんだよ。会えない恋人のことを思って弾いている。そう本人から聞いたことがある」
「じゃあ、彼は恋人なのに科学者じゃないから父親に結婚を許してもらえないってこと?」
「まあ、そんなところだろうね」
 鳥とひそひそ話をしているヒーリスを見て、ジョンが言う。
「どうかしましたか?」
「いえいえ、なんでもないです」
「わたしは、ベアトリクスを愛しています。ですから、知恵を貸してください。むしのいい話だってことは承知しています。だけど、対決に勝たないと一生ベアトリクスに会えなくなってしまうんです」
「あ……」
 困るヒーリスに対して、ニュートンが言う。
「断れ」
「えっ?」
「いいから、断るんだ」
 ニュートンに強く言われたヒーリスは、
「申し訳ないけど、その頼みはきけないよ。ごめんね」
「そうですか……、だめですか……」
 がっかりした様子で去っていく青年を見て、ヒーリスがニュートンに言う。
「本当にこれでよかったの?」
「いくら毎朝の演奏が愛の証だといって、彼の代わりに答えを用意したところで、婚約した後に苦労するのは彼だよ。科学者じゃないってすぐにばれるんだから」

 次の日、ヒーリスが起きると、家の前にジャン=ライアンが立っているのが窓から見えた。
「ねえ、ニュートン。昨日の彼がいるよ」
「ああ、見た」
「どうしよう」
「ほっとけばいいさ」
「ええ、でも……」
「そのうち諦めるさ」
ニュートンの考えとは裏腹に、それから毎日、ジョンはニュートンの家の前に立ち、許可してくれるの待っていた。
その様子を眺めるニュートンは何かを考えているようだった。

ニュートンは夜になって帰っていくライアンの後をつけた。
すると、彼はバイオリン工房に入っていった。
ニュートンは窓から覗き込み、飾られた写真から、ライアンが亡くなった父の仕事を引き継いでバイオリンの製作者になったことを知った。
ジョンは作り終えたバイオリンを弾き始めた。
その音色はすばらしいものだった。時間の流れがゆっくりになったような優しい音色だった。

次の日。
今日もまた朝から、ライアンはニュートンの家の前で立っていた。
「彼、また来ているよ……」
「そろそろ協力してあげようか」
「えっ、協力って、課題を解くってこと?」
「もちろん」
「分かった。彼に言ってくるよ」
 急いで部屋を飛び出そうとするヒーリスを止めてニュートンが言う。
「答えの発表会の前日に来るように言っておいてくれ。それまでに解答を用意するってね」
 ヒーリスがニュートンの言葉をライアンに伝えると、彼は喜んで握手をすると帰っていった。
戻ってきたヒーリスは、ニュートンに言う。
「あれだけ嫌がっていたのに、どういう風の吹き回しだよ」
「フックに勝ちを譲るのが嫌になっただけさ」
「ほんとにそれだけ?」
「ああ、それだけ」

発表会の前日、ライアンが約束どおり訪ねてきた。
ヒーリスは、ニュートンに教えてもらった通り、太陽光を小さな穴に通して暗室内にある三稜プリズムに導き、虹のような紋様を部屋の壁に人工的に作り出した。
「これは……」
「太陽光線をガラスのプリズムに通すと屈折率の差によって赤から紫に至るいくつかの成分に分けられるんですよ」
「屈折で色の分離ができるのはそれぞれの色の粒子の大きさや強さが様々であるからなのだと思います。これら光の粒子が物体に当たったとき、物体の表面で粒子の吸収と反射が起こり、吸収されなかった光が目に入ると、私たちは、その粒子の色を、物体の色と感じとられているんです」
「やりましたねニュートンさん。あとは色を数えるだけですね」
と喜ぶライアン。
「だけど、だめなんです」
「だめ?」
「色の数は数えられません」
 ニュートンになりきり、辛そうに言うヒーリス。
「分離はできますが、その境界をはっきり決めることはできないんです。何色かに分かれていることは見てすぐ分かるんですが、何色かといわれると……」
「確かに、数えられないですね……」
「だから、結論は、『虹の色の数は決められない』ってことになってしまいます。これでグリムステッドさんに納得してもらえるかどうかが不安です」
「……」
 悩む、ライアンとヒーリス。
しばらくすると、十時になり、ベアトリクスのバイオリンの音色が聞こえてきた。
「ああ、ベアトリクス……」
呟くライアン。
 しばらくそれを聞いていると、プリズムの虹を見ていたヒーリスは突然立ち上がって「ユウリカ(分かった)」と言う。
 ヒーリスは自分の考えをライアンに説明した。その話にはコマドリのニュートンも目を丸くした。
「ありがとう。ニュートンさん。明日はがんばって説明してみます」

発表会の当日。
まず、フックが壇上に立ち。シャボン玉を飛ばした。
「このシャボン玉は光が当たると、虹色に見えます」
 確かにシャボン玉に光が当たって虹色に輝いていた。
「これは光が屈折しているからです」
 その説明を聞き、ライアンがヒーリスに言う。
「わたしたちと同じ説明なんじゃ?」
「違うさ。彼は波動説派らしいから」
 と余裕のヒーリス。彼はニュートンから光に関する様々なことを聞き、学んでいた。
「光が屈折するときの曲がり方に違いがあり、その違いは波長の違いによります」
 自信満々に説明していくフック。
「フックは光は波だと思っている。それが波動説。そして、わたしは、光は粒子だと思っている。それが、粒子説。どっちが正しいか。まだ、はっきりしてないけどね」
 とライアンに説明するニュートン。
「光は波であり、波長が長いほど屈折率は小さく、波長が短いほど屈折率が大きいのです。そして、光は波長によって色が違うのです。わたしたちがいつも見ている太陽の光は、いろいろな波長、すなわち様々な色の光が混じったものです」
 会場の様子を確かめるように見てから続けた。
「虹というのは、太陽の光が空気中の水滴で屈折して起きる現象です。屈折により波長が分けられ、波長の違いが色の違いとして見えるようになったわけです」
「前置きはその辺でいい、結局、虹は何色なんだ?」
 とせっかちなグリムステッドが訊く。
「そうでした。虹は何色かということでしたね。説明したように、波長がわずかでも異なれば、わたしたちの目には違った色として感じられます。太陽の光というのは、無数の異なる波長の集合体で、虹も太陽の光を反射しているのですから、何色と決めることはできません。いわば、虹は無限の色の集合体なのです」
「なるほど、無限ね……」
 グリムステッドは納得した様子で、フックの説明を聞くと、集まった人たちに訊いた。
「他に説明する者はいないかね」
 ライアンはヒーリスを見てから手を上げた。
「ほう、君が説明できるっていうのか。やってみたまえ」
 ライアンは壇上に上がると、部屋を暗くするようお願いし、太陽光を小さな穴に通して台の上に置いた三稜プリズムに導き、虹のような紋様を部屋の壁に人工的に作り出した。
 その神秘的な様子に会場からは驚きの声が上がった。
「けっ、くだらないパフォーマンスだ。わたしのシャボン玉と同じじゃないか。そんなものを見せたところで、どうせ結論はわたしと同じで、何色かは決められないだろ?」
 けちを付けるフック。
「いいえ、違います。虹の色の数はちゃんと決められます」
「何だと、面白い。じゃあ言ってももらおうじゃないか。無限の色の集合体である虹は何色なんだ?」と食って掛かるフック。
「董、藍、青、緑、黄、橙、赤の七色です」
 虹を映し出した壁に近づくライアン。
「太陽の光は多くの種類の微粒子からできています」
「光の粒子説だと、こいつ……」
 ヒーリスの方を見るフック。
 以前、フックの唱える光の波動説に反対して、粒子説を唱えたのはニュートンだった。フックはライアンに入れ知恵したのがニュートンだということに気が付いた。
「すなわち、光は物体から放射される粒子の流れであり、光をプリズムに通して人工的に屈折させることにより虹が生じるのは、粒子の大きさや強さが様々であるからです」
「また、音波の振動数が音の高さを決めるのと同じように、色は光の粒子が感覚器官と衝突したときの振動によって引き起こされるのです」
「光の粒子はその大きさや強さに応じて網膜や視神経に様々な振動を作りだし、白が最も高い振動数をもち、黒くなるに従って振動数が低くなり、振動が感覚器官を通じて脳に伝えられたものが色と認識されます」
「ですから、こうやって線を引き……」
 ライアンは、七色の光線の帯に線を描いた。
「さらに赤色の外側の延長線上に、七色の光線の帯と同じ長さを取り、その端から各色の仕切線までの長さの比を求めます。これらは弦楽器の弦長にほぼ比例するので、色の仕切線を音階のレ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド、レに対応させることができます」
「お嬢さんの弾かれるバイオリンの音色も、虹の光も同じように人間の感覚器官により感じ取ることのできるものです」
 ライアンは持参したバイオリンを差し出した。
「これはお嬢様のために作りました『虹の音色のバイオリン』です」
 ベアトリクスはバイオリンを受け取ると、慣れた手つきで演奏し始めた。
 その音色は虹の美しさを引き立たせてくれるような穏やかでやさしい響きだった。
 会場からは、感動のため息が混じった声が出る。
「こんなの、インチキだ。科学じゃない……」
 言いがかりをつけようとするフックを制して、ヒーリスが言う。
 しかし、もはや会場全体がライアンの味方になっていた。
「君の負けだよ。フック」
「ニュートン。貴様……」
 グリムステッドは、ライアンの説明に納得し、立ち上がって言った。
「君の説明は素晴らしかった。娘との婚約を許そう」
 しかし、ライアンは戸惑ったような顔をして言った。
「申し訳ありません。今の説明はニュートンさんに考えてもらったもので、自分で考えたものではありません」
 会場の人々は驚いた。
「何だと。本当なのかね。ニュートン君」
「はい、そうです」
「じゃあ、君は失格だな」
「待ってください。確かに彼はわたしに相談してきました」
 立ち上がるヒーリス。
「科学とは不確かなもので、間違いないと思われた理論も後に間違いだと覆されることもよくあることです。今説明した虹の話も何年かしたら、くだらないと馬鹿にされる理論かもしれません。ですが、彼のバイオリンを作る技術は確かです。何十年たっても変わることはありません。それどころか、よりいっそう高められるでしょう。そして、彼がお嬢さんを思う気持ちもまた同じです」
「まだ未発達で不確かな科学を信じるより、彼の技術、そして愛を信じてみてはどうでしょうか」
「ニュートンさん……」
 つぶやくベアトリクス。
 息を呑む会場。
「分かった。二人の婚約を許そう」
 涙を流し、ベアトリクスと抱き合うライアン。
「ベアトリクス、幸せになれよ」
応援するコマドリのニュートン。
その目には涙がにじんでいた。

帰り道。
「あの青年の作ったバイオリンのできはすごいね。音色が違うってことが素人の僕にも分かったよ」
と感心するヒーリス。
―すごいのは君だよ―
と心の中で考えるニュートン。
―あの時、君が彼女の弾くバイオリンの音を聴いて『光も音も同じなんだよ』と言わなかったら……―
「どうして、あの時。光を音階と同じ七色に分けようと思ったんだ?」
「ただなんとなく、もしそうだったら面白いと思ってさ」
「面白いか……」
―バイオリンの音階と虹の色とを結びつけるセレンディピティの能力。もしかしたら、この青年、わたしよりも科学者の才能があるのでは……―
「さあ、帰って新たな研究だ」
「えー、もう今日は疲れたよ」
「だめだめ、やりたい実験は無限にあるんだから」
 見上げた空には大きな虹が架かっていた。

この後、ニュートンは『色と光の新理論』(一六七二年)で光の粒子説の説明として、虹が七色だということを発表する。
虹が七色という考えは日本の蘭学者にも強い影響を与えた。ニュートンからおよそ百五十年後の一八二五年に、我が国で最初に出版された物理学書『気海観瀾』(青地林宗著,朝日新聞社、日本科学古典全書)には、「三稜破璃(プリズム)で太陽光線を受け諸色を紙上に映ずる。……七色光線の角度と音律の七調を比べると、色と音が同一の理であることがわかる」と紹介されている。明治時代には、多くの理科の教科書や啓蒙書で虹は七色と書かれている。
 また、光が粒子か波かという論争は、この後も続くことになる。
 現在では、光は粒子と波の両方の性質を持つとされている。
END


参考文献
『ニュートン』(田中一郎訳 渡辺正雄解説,朝日出版社)
『科学者とキリスト教』(渡辺正雄,講談社ブルーバックス)