あらすじ

沢木味来は歴史上の有名人が死ぬ間際に食べた最期の料理を提供する料理人。

死期が近いことを悟った阿見真治は『スーカラ・マッダヴァ』という釈迦が最期に食べた料理を依頼する。
阿見真治は昔日本料理の店を営んでいたが、そのとき古くなった鯛で食中毒を出したことがあったが、それを弟子の佐々木のせいにしたことを後悔していた。

食中毒で死んだ釈迦だったが、苦しみながらも作った人を責めなかった。
阿見は釈迦と自分を照らし合わせていた。
阿見真治が『スーカラ・マッダヴァ』を口にしようとしたとき沢木味来にこの料理を作ったのは自分ではなく、佐々木だということを告げられる。
現れた佐々木に阿見は素直にわびる。


・キャラクター設定
沢木味来 サワキミライ(二十二歳)
 海外で飛行機事故に遭い、一命を取り留めるも救助が遅れたため、両親は餓死した。
 その経験から、人が死ぬ間際に食べる最期の料理に興味を持つようになった。
 料理人になり、歴史上の有名人の食べた最期の料理を提供する店を開き、どんな料理であろうと、当時の材料を用意して再現する。

第二部 『モーツアルトの最期の料理』

ある会社の面接会場
「あなたは自分の長所はどんなところだと思いますか?」
「長所、ですか?」
 とまどう末永雄太。
「そう、アピールできるところ」
「え、えーと……、ありません……」
「ない?」
 苦笑する面接官。
「分かりました。面接は以上です」
「ありがとうございました」
 雄太が部屋を出ると、次の面接者が「失礼します」と元気のいい声で挨拶していた。

あるアパートの一室に二人の男がいる。二人の名前は、末永誠二と末永雄太。
一人は華麗にピアノを弾いていた。
 曲はモーツアルトの『アイネクライネナハトムジーク 第一楽章』。
 ピアノを弾いているのが兄の誠二。
彼らは一歳違いの兄弟で、東京の同じ音大に通った。
田舎の実家を離れ、二人で部屋を借りて住んでいる。広い間取りではないため、グランドピアノが生活場所を占領している。お互い、熱狂的なモーツアルトのファンで毎日のように二人だけの演奏会を開いていた。
―兄貴の弾くモーツアルトは毎日聞いていても心に響くなあ―
 と雄太は感心していた。

兄の誠二はゲームメーカーに就職し、ゲーム音楽を作曲する仕事に就いた。兄の一年後に卒業した弟の雄太は、就職活動は行ったものの内定をもらうことはできなかった。現在の生活費はバイトで得ているフリーター。
 雄太は子供のころから学校の成績が悪く、落ちこぼれだった。音楽学校も運良く受かり、何とか卒業できたというレベルだった。
だから、就職試験でも、「自分は何をやってもうまく出来ない不良品なんだと決め付け、チャレンジしようとしない性格」が面接で見抜かれ、マイナス印象を与えた。
 
 演奏をやめ、誠二が訊く。
「今日の就職の面接どうだった?」
「ぼちぼちかな……」
 と暗い表情を見せる。
「落ち込むなよ。モーツアルトだって、仕事がなかなかもらえず極貧の生活をおくっていたそうじゃないか。いつかきっと認められる日が来るさ」
「僕には無理だよ……」
 雄太のあきらめ顔を横目で見ながら、誠二が言う。
「俺、もうすぐ仕事の都合で異動になるかもしれないんだ」
「えっ、どこに?」
「福岡」
「九州か、遠いね……」
 一人で取り残されるなんて不安だという表情だった。
「だから、俺たち兄弟が離れ離れになる前に、一緒に思い出になるようなことしないか?」
「へー、兄貴と何かするなんて、久しぶりだね。どっか、旅行にでも行こうか」
「いや、作曲する」
「どんな音楽を?」
「『モツレク』だ」
「モーツアルトの『レクイエム』だって。未完成のままのモーツアルトの遺作じゃないか。それを二人で完成させようっていうのか?」
「そういうこと」

「レクイエム」とは死者のためのミサ曲であるが、モーツアルトのそれは多くの謎に包まれている。
 一七九一年の初夏に、謎の訪問者(注文主はシュトゥッパッハ伯爵という説が一般的)から死者を弔うミサ曲の注文を受けた後、モーツアルトは仕事にかかるが、途中、オペラ「魔笛」等、数曲を完成させなければならず、健康状態も思わしくなかった。
 『レクイエム』を作曲し始めたころからモーツアルトは、自分の死を予感した。謎の訪問者のことを地獄からの死者であるかのように幻想し、まるで自分のための『レクイエム』だと思いながら作曲を進めた。そして、モーツアルトは、未完成のまま死を迎えた。
曲は依頼されて作ったものだった。だから、完成させないと報酬はもらえない。そこで、モーツアルトの妻、コンスタンツェはレクイエムの完成を弟子にたくした。途中まで弟子のアイブラーが補作したが、途中で断念。その後、コンスタンツェは別の弟子のジュスマイヤーに依頼して、彼は補作を完成させた。これが最も有名な「ジュスマイヤー(補作)版」である。

「モーツアルトの補作なんて、よほどの天才じゃなきゃできないよ。だから、兄貴にはできるかもしれないけど、僕には無理だ。とても一緒になんてできっこない」
 早くもあきらめムードの弟。
「途中からでも手伝ってくれればいいさ。とにかく、俺は挑戦してみる。作曲するにはモーツアルトに成りきらなきゃだめだ。来週から連休だし、彼の心に触れるためにオーストリアに行ってモーツアルトの墓でも掘り起こしてみるよ」
 とおどけて笑った。

オーストリアから戻った誠二は、作曲にのめりこんでいく。
自分の部屋にこもり、時々叫び声を発した。あたかも、モーツアルトの亡霊にでも取り付かれたようだった。心配になった雄太が「ご飯、できたよ」などと声を掛けるが中に入れてくれない。
ドアの隙間から見ると誠二は、持ち帰った土を眺め、ニヤニヤと悪魔に取り付かれたような微笑を浮かべていた。食事をしないため、体はやせ細っていた。もはや明るい誠二の姿はなかった。

 ある田舎街にあるレストラン「らすとらん」。
林の中に突然現れる中世の貴族の家を思わせるようなたたずまいに、異国に迷い込んだのかと錯覚するお客も珍しくない。
 扉をノックすると若い女性が現れた。
 最期の料理人こと沢木味来だ。レストランは彼女一人で経営している。
「いらっしゃーい。末永さんですね」
 末永雄太は、失礼します、と緊張した面持ちで沢木の後に続いた。
 雄太が席に着くと、沢木が聞く。
「本日の最期の料理は、『モーツアルト』でいいの?」
「はい、お願いします」
「モーツアルトの最期の料理を食べたい理由は聞いたけど、あなたが言うようにモーツアルトの心に触れられるかどうかは保障できないわよ」
「兄は、『レクイエム』を作曲するために、モーツアルトの墓を暴きに行きました。遺体はなかったそうですが、土を持ち帰ったようです。それから、その土を眺めるようになり、だんだんモーツアルトの亡霊にでも取り付かれたようにおかしくなっていったんです」
「……」
「もはや、冷静に物事を考えることができない状態です。作曲なんてとてもできません。だから、僕が代わりに作曲し、兄を『レクイエム』の呪縛から解き放つしかないんです。そのためには、モーツアルトの死因となった最期の料理を食べ、彼の心に触れたいんです」
 決意のこもった目で、沢木を見つめる雄太。
「じゃあ、作ってくるわね」と厨房に入る沢木。

 出来上がった料理を雄太の待つテーブルに運ぶ。
「なかなかいい香りがしますね」と雄太。
「モーツアルトは、一七五六年オーストリアのザルツブルグで生まれた。わずか三歳からその才能を発揮し、五歳の時にはすでに作曲に取り組んだ。そして、音楽家であった父親に連れられて、ヨーロッパ中を演奏旅行し、一躍有名になる。そして、一七九一年十二月五日、三十五歳という短い生涯を閉じた。しかし、その死にはいくつかの謎が残されている。知ってるわよね?」
「ええ、その謎とは、まず直接の死因が明らかにされていないと言うこと。毒殺説、リウマチ熱、心不全説、ペスト説 、水銀中毒説 、腎臓病説、フィラリア説などたくさんある。中でもサリエリやフリーメーソンに暗殺されたと言う説が有名ですよね」
「あなたはどう思うの?」
「調べると、モーツァルトは長い期間にわたって少しずつ毒を盛られた形跡があります。それができるのは常にモーツァルトの身近にいた人たちだけです。思いつくのは妻のコンスタンチェ」
「なるほど……」
「モーツァルトの死後の彼女の行動にはいくつかの不可解な行動が三つあります。まず一つ目にモーツァルトの葬儀にも葬列にも参加しなかったこと、二つ目にモーツァルトの墓を建てようとしなかったこと、そして三つ目にモーツァルトの手紙を破り捨てたり、大切な部分を消したりしたこと」
「モーツァルトの葬儀はスヴィーテン男爵が取り仕切ったとされていますが、喪主はコンスタンチェですからその場にはいなければいけません。しかし、コンスタンチェは幼い子ども達を連れて友人の家へ逃げていました」
 話を続ける雄太。
「さらに、いくら夫が急死して気が動転していたとしても、愛する夫であり、天才的な音楽家でもあったモーツァルトの墓を建てようともしないのはおかしい。さらに自分に都合が悪いと思われる手紙などの遺品をすべて捨てています」
「コンスタンチェが犯人だと?」
「コンスタンチェの行動には怪しいところがありますが、夫を殺害する動機もその証拠も確たるものはありません。有罪とも無罪とも証明することはできませんが、彼女の行動から何か心にやましいことがあったに違いないということは言えます」
「やっぱり、奥さんが犯人と考えているの?」
「いや、わたしが考える犯人は……」
「犯人は?」
「モーツアルト自身」
「えっ!」
「モーツアルトに最も簡単に毒の飲ませられるのはモーツアルト自身。でも、自殺をしたのではありません。モーツアルトの時代、浮気は紳士のたしなみと考えている人が多くいました。そして、モーツアルトもその一人です」
「だから、モーツアルトも社交的な集まりに出かけては人妻や独身を問わず浮気をしたんです。その結果、梅毒という病気に感染した。しかし、その当時、治療に効果的な抗生物質等がなかった……。では梅毒を治すのにどのような治療がされていたのでしょうか? 今では考えられないことですが、梅毒を治すために、その当時は水銀を水で薄めて定期的に飲むという治療がなされていました」
「つまり、モーツアルトは水銀中毒で亡くなったんです。モーツアルトの友人で、彼の葬儀を取り仕切ったヴァン・スビーテン男爵の父親は有名な医者で、水銀薬の開発者です。そして、梅毒に冒されていたモーツアルトは、友人のスビーテン男爵に相談して水銀薬を調合してもらい、それを服用していたんです」
「やがて水銀は徐々にモーツアルトの体をむしばみ、そして最後には彼の命までも奪った。自分の薬のせいでモーツアルトが死んだと思ったスビーテン男爵は慌てて葬儀を執り行い、決してモーツアルトの死体が後で調べられないように証拠隠滅をはかって、墓も建てずに共同墓地に埋葬させたんだと思います」
 自信がありそうに語る雄太。
 味来が言う。
「そうすると、妻のコンスタンチェは浮気が原因で亡くなったという夫のふがいなさを恥じて、葬儀に出席しなかったってことね。さらに、後で梅毒や水銀薬のことを知られないように遺品を整理したり手を加えたりしたと……」
「わたしは、モーツアルトの使っていた水銀薬を飲むことで、彼と同じ境地に達することができ、『レクイエム』が作曲できると信じています。味来さん、あなたは水銀薬を作ってくれたんですよね?」
「……、じゃあ、確かめてみる?」
 味来は、料理のふたを取る。
「こ、これは……」
 中から現れたのは、『ポークカツレツ』だった。
「モーツアルトの最期の料理が『ポークカツレツ』?」
 スプーンで食事を口に入れる。
 そして、雄太が言う。
「そうか――。 思い出した。僕が調べた文献に書かれていた。モーツァルトが亡くなる四十四日前に妻コンスタンツェに宛てて『何の香りだろうか。こ、これはポークカツレツだ。何ておいしそうなんだ。君の健康を祝して食べよう』と書いた手紙があると。しかし、なぜこれが最期の料理に? 食べたのは死の四十日以上前なのに……」
「衛生状態があまりよくなかった当時のこと、モーツアルトは半生のポークカツレツを食べ、食肉、特に生の豚肉に多いとされる寄生虫、旋毛虫に感染したのよ。旋毛虫症の症状である高熱、発疹、関節炎、むくみなどは、モーツァルトが亡くなる直前の症状にぴったり当てはまるわ」
 そう言って続けた。
「旋毛虫症の発症は、寄生虫に感染した食肉を食べてから五十日以内。モーツァルトが亡くなったのは、一七九一年十二月五日。当時はまだ旋毛虫症は診断が不可能で、ヨーロッパでは集団発生することも珍しくなかった。梅毒の治療で水銀を飲んでいたために体が弱っていたのは事実だろうけど、死の直接の原因となった最期の食事は『ポークカツレツ』よ」
「そ、そうか。モーツアルトは寄生虫の苦しみに耐えながら、『レクイエム』を作曲していたのか」
「このポークカツレツは、当時と同じ材料を手に入れ、彼が食べたものと全く同じものを再現したわ。食べ終わった後は病院に行ってね。旋毛虫症も現代医学であれば、簡単に治るんだから」
雄太はじっくり味わいながら食べた。
「ありがとうございます。これで『レクイエム』が作曲できます」

家に帰った雄太は数日かけて、満足のいく『レクイエム』を完成させた。すでに疲れ果てていた。
「出来た――、これこそモーツアルトだ」
雄太は、誠二が自分で作曲したと思わせるために、誠二が寝ている間に机の上に完成した補作の楽譜を置いた。
 そして、誠二を起こす。
「やったじゃないか『レクイエム』ができてる。さすが、兄貴だ」
「お、おお」
 誠二は半信半疑のまま、驚いていた。
「じゃあ、さっそく弾いてみるよ」
 誠二はピアノの前に座ると無心に弾き始めた。
 部屋に美しい音色が響き渡る。
「これだ、これだよ」
 と呟きながら弾き、終わると涙を流しながら言った。
「やったじゃないか」
「えっ?」
「お前が作曲したんだろ?」と正常な顔で言う。
「あれっ、お兄ちゃん大丈夫なの?」
「ああ、問題ない。こんなすばらしい曲を作曲できたんだ自信を持て。お前は才能あるよ。いつか、きっと認められる」
 雄太はふと気が付いた。
―そうか、兄貴のすべての行動は僕に自信を持たせるため……―
 涙がこみ上げてきた。
「就職活動、あきらめずにがんばるよ」
―ありがとう兄貴、そして、すばらしい料理を作ってくれた最期の料理人―

END

第一部 『釈迦の最期の料理』

第一部 『釈迦の最期の料理』
◎日本料理店「あみ」。
料理人、阿見真治が経営者であり、料理長を勤める有名店。
大座敷では代議士の棚橋恭一の一行が食事を楽しんでいる。

◎料理店「あみ」の板場
  阿見が落胆した様子で悩んでいる。
阿見「なんだって、魚がないだと……」
料理人A「配送のトラックが事故に遭ったらしくて……」
阿見「くそっ、一度注文を受けた人数分の料理が用意できないとなれば、店の信用に係わる……」
料理人A「いまから調達しに行くにしても時間が……」
その時、料理人の佐々木が、
佐々木「大丈夫です。ちゃんとありますよ。今日はたくさん必要だろうと思って別に準備しておいたんです」
  彼は板前の修業に来ていた若者であり、やる気も才能もある。
阿見「そうか、それならすぐに出してくれ」
  そう言って、次の料理を作り始めた。
佐々木「はい、今すぐに」
  棚橋先生の食事会は無事に終わる。

◎阿見の自宅 寝室
阿見は床についた。
  しかし、明け方に電話がかかり目を覚ます。
寝ぼけながら受話器を取る阿見。
電話の向こうの男は思いもよらない言葉を口にする。
  阿見は一瞬で青ざめて、叫ぶ。
阿見「そんなばかな! 棚橋先生が俺の店の料理で食中毒……、あの鯛の刺身で……」
  力なく電話を置く。
  食事会に参加した代議士の棚橋が食中毒で入院したという内容の電話だった。

◎料理店「あみ」 早朝
  佐々木を目の前にして、阿見が問いただす。
阿見「あの鯛、本当は前日の残り物だったんだろう?」
佐々木「……は、はい……」
阿見「前日の残りものを客に出すことは禁止していたはず。まったく、なんてことをして くれたんだ」
佐々木「……」
  黙ってうつむく佐々木。
梅雨時だったこともあり、運悪く鯛が悪くなっていた。
阿見「出て行け、二度と俺の前に現れるな」
  阿見が叫ぶと佐々木は何も言わずに店を出て、一礼してから去って行く。

◎十年後 ある病院の個室
  昼の十二時過ぎ。
  ベッドに横たわる阿見真治は、窓の外を眺めている。
  やせ細り、死にそうな形相。
窓の外に見える庭では、退院が近づいた子供たちが元気に遊んでいる。
阿見がため息をついたとき、突然病室の扉が開く。驚いて目を向けると、料理の乗ったワゴンが運び込まれて来る。
そして、シェフらしき若い女性(沢木味来)が顔を上げて言う。
味来「お待たせー。最期の料理でーす」
阿見「おお、沢木味来か。待っていたよ。それがお釈迦様が死ぬ直前に食べたという『スーカラ・マッダヴァ』か。いまだかつて誰も再現したことのない幻の料理……」
  と目を輝かせて起き上がる。
  見たこともない茶色い土の塊のような料理が湯気を立てている。
阿見「幻の料理をこんな短期間で用意するとは、流石は最期の料理人ですね」
  興奮する阿見。
阿見「あなたは歴史上に存在した幻の料理を完璧に再現するというが、どうやってこれを?」
味来「簡単なこと、釈迦の生涯を体感して、最期の料理にまでたどり着くの。まあ、そんな芸当ができるのは、料理界広しといえども私だけでしょうけどねー、おほほほ」
阿見「……う、うん」
味来「インドのマガダ国の王子として生まれた釈迦は、豊かな暮らしを全て捨て去って、修行の道に入ったの。そんでもって、八十歳となって死期を悟った彼は、現在のインドにあるラージャガハ(王舎城)の霊鷲山から生まれ故郷のカピラ城に向かって最後の旅に出た」
阿見「ふむ……」
味来「結局、釈尊はカピラ城の手前のクシナーラーで亡くなったんだけど、直接の死因は食中毒よ。そして、そのとき食べた料理がその『スーカラ・マッダヴァ』」
  自信満々の味来。
阿見「そこまでは私も調べたから知っている」
味来「あ、あら、そう……。釈迦は、旅の途中、パーヴァという村で、教えに感謝したチュンダという人物に食事に招待されたわ。彼が釈尊に出した料理こそ『スーカラ・マッダヴァ』。彼は最高の料理で釈迦をもてなしたつもりだったんだけど、死期を早めてしまったの」
阿見「それで、どんな料理なんです?」
味来「『スーカラ』とは『野豚』のことで、『マッダヴァ』とは『柔らかい』という意味」
阿見「柔らかい豚肉の料理ですか?」
味来「一種の薬草 、柔らかい豚肉 、などいろいろな説があってどれがほんとかは、分からなかった。私は真実を確かめるべく、釈迦の足取りを追い、チェンダが住んでいたという村を訪れ、そこで一ヶ月間生活したのよ。か弱い美女が一人でよ……、辛かったわー」
阿見「……」
未来「お、おほん……、そんなある日のこと……」

◎沢木味来の話
◎インド チェンダの村
ある日、村人の男が一人、豚を連れて野山に入って行く。
沢木は不思議に思ってこっそり後を追う。
二時間程度歩いたところで、豚が立ち止まり、ある木の下を掘り始める。
男はじっとそれを見つめている。
味来「豚が土を掘っている。まさか……」
  つぶやいた沢木は駆け寄り、男に豚の掘ったものを見せてもらう。
味来「こ、これは――」
  思わず叫んだ。

 未来の話終わり。 

◎元の病院の個室
  阿見は気になって訊く。
阿見「何だったんです?」
味来「キノコです」
阿見「なるほど、キャビア、フォアグラとともに世界の三大珍味といわれているトリュフも豚や犬の嗅覚を利用して探すが、まさかトリュフでは?」
味来「トリュフと同じ種類のキノコよ。ただ、どんな料理のレシピにも存在しない、はじめて見るキノコだったわ」
阿見「ふむ」
味来「そのキノコの味は格別で、あの村だけでしか取ることが出来なくて、滅多に見つけることができないから、村の人たちにとって最高のご馳走なの。チェンダは釈迦に自分の作れる最高の料理を振舞ったんだから『スーカラ・マッダヴァ』とは、『豚の掘り出すキノコ』の料理に違いないわ」
阿見「なるほど――」
味来「だけど、釈迦は食中毒になった。なぜかしら?」
阿見「はて?」
味来「チェンダは、突然現れた釈迦に料理を振舞いたかった。しかし、料理用のキノコを持っていなかった。それでも、最高の料理を食べてもらいたかった彼は、他の村人から全財産と引き換えにキノコをもらったの。でも、その村人はチェンダをだまし、見た目がそっくりな毒キノコを与えたのよ。だから、チェンダは毒キノコだと気が付かずに『スーカラ・マッダヴァ』を調理してしまったの」
味来「……」
  阿見真治の額には、汗がにじんでいた。
味来「私は、村の伝統的な『スーカラ・マッダヴァ』の料理法を学んで来た。経典には、『釈迦はチュンダの食物を食べられたとき、激しい病がおこり、赤い血が迸り出る、死にいたらんとする激しい苦痛が生じた』と書かれていて、……」
阿見「分かっております。あなたが作る最期の料理は必ず本物だと。だから、この目の前のおいしそうな料理も毒キノコを調理したものに違いないのでしょう」
味来「それなら、今日の最期の料理は、眺めるだけにするのね」
阿見「いや、食べるよ」
  沢木味来は驚いて言う。
味来「何を言ってるのよ。あなたの弱った体では、釈迦と同じように……」
阿見「いいんです」
  決心したような顔をした阿見真治は、ゆっくりと口を開いた。
味来「私も料理人です。料理の道に入って五十年、自分の店も持つことができ、とても充実した毎日でしたが、ただ一つだけ後悔していることがあります。それは、私の店で食中毒が出たときのことです……」
  阿見は、十年前の食中毒事件の話をした。
  沢木味来の目を見つめて言う。
阿見「出て行けといわれ、何も文句を言わずに店を出て行く佐々木青年が、最後に振り返り、私に向かって一礼したんです。その顔がまぶたに焼き付いて離れません」
味来「それがどうして後悔なのですか? 店の決まりを守らなかったのは、その佐々木という人なのだから、クビになって当然でしょう」
阿見「私は、本当は気が付いていたんです」
味来「気が付く?」
阿見「佐々木が前日の残りの刺身を出したことを。それなのに、気が付かなかったふりをして、責任をすべて彼に押し付けてしまった。本来なら、私が彼に謝らなければいけないのに……」
阿見「それから何年かして、別な場所で店を開くことができ、あの日のことをあやまろうと佐々木君を探しましたがとうとう見つけることが出来ませんでした」
味来「なるほどね。だからと言って釈迦になったつもりで、『スーカラ・マッダヴァ』を食べて死んでも、あなたの罪が償われっこない。釈迦は、食事の後、自ら苦痛に悩みながらも、決してチェンダを責めたりしなかった……」
阿見「……」
味来「佐々木という青年が行ったことも、チェンダと同じように良かれと思ってやったこと。彼を許し、そして、あなた自身の罪を受け入れる気持ちがあるのなら、あなたはまだ釈迦の『スーカラ・マッダヴァ』を食べるべきではないわ」
阿見「……」
未来「まあ、食べるかどうかはあなたが決めることだけど……」
  それだけ言って、沢木味来は部屋を出て行こうとした。
阿見「待って、料理のお金がまだ……」
味来「料理の代金なら、受け取ることはできないわ」
阿見「なぜ?」
味来「その料理は、私が作ったのではないからです」
阿見「えっ!」
  沢木は入り口の方を向いて言う。
未来「さあ、入って」
  沢木の声で、ドアの向こうに一人の男が現れた。
  その姿を見て、阿見真治は驚いて言った。
阿見「君は、佐々木……」
  阿見が沢木にした話に出てきた佐々木だった。
佐々木「お久しぶりです」
  佐々木は一礼した。
阿見「ま、まさか、君が一人で『スーカラ・マッダヴァ』を?」
佐々木「はい、インドに行き、どんな料理だったのか調べ、作りました」
阿見「沢木さんが話したことは、君がやったことだったのか。私が十年かかっても作れなかった料理を一人で……。腕を磨いたようだね」
佐々木「師匠の教えは今でも私の胸の中にあります。そのおかげで今では自分の店を持つことが出来るまでになりました。沢木さんから、師匠が最期の料理を依頼されたという話を聞き、是非私に作らせて欲しいとお願いしたのです。決して師匠のことを恨んではいない、それどころか感謝していることを分かっていただくために」
阿見「沢木さん。あなたが佐々木君を探してくれたのか?」
味来「依頼を受ける相手のことは、現在のことも過去のことも完璧に調べることにしているのよ」
  佐々木は笑顔で言う。
佐々木「私は、最期の料理人ではありません。だから、この料理は、毒キノコを使った料理ではなく、チェンダが思い描いていた『スーカラ・マッダヴァ』を再現したものです。食べてみてください」
阿見「そうか、ありがとう」
  涙を流しながら、一口食べた。
阿見「君の苦労が、見えるよ……」
あふれ出た涙がスプーンに落ちた。
  沢木味来は二人の邪魔をしないよう、静かに病院をあとにした。
END