古びた居酒屋を営む黒川和夫(四十五)と紗江(四十)。クリスマスの晩、ふらりと現れた客が見せたのは「楊貴妃の髪」なるお宝だった。
博識の和夫はその髪が本物かどうか推理を展開する。
客は和夫から楊貴妃の髪から芳しい香りがしたという伝説や楊貴妃が生き延びて日本に渡ってきたという伝説の話を聞き、ますます自分の持って来た紙が本物ではないかと思い始める。
年代測定をしてみたらどうかという和夫の提案に客はその結果を告げる。するとそれは紛れもなく楊貴妃の生きていた時代だった。
自慢のお宝を多くの人に見てもらいたいから買い取って店に置いて欲しいと提案する客。
紗江は髪は巧妙に作られた贋作でそれを買わせようとしている詐欺だと確信し、和夫に買うのを止めるように言うが、高価なものだからと和夫は強引に買ってしまう。
怒る紗江だったが、和夫から自分が欲しかったのは髪ではなく髪の入った箱を包んでいた紙だと説明される。
その紙には切手が四枚貼られていて、それがものすごい高価なものだというのだ。
切手コレクターの和夫は、客が高価な切手が張られていることに気が付いていなかったから買ったのだった。
素晴らしいクリスマスプレゼントをありがとうと神に感謝する紗江。
客の男は、アパートに帰り、計画が成功したことを仲間の男に告げる。
予想通り、偽物の切手だと悟られることなく買わせることに成功した。
彼らは切手コレクターを狙った詐欺師だった。
高価なお宝
◎ 居酒屋 夜
黒川和夫(四十五)と紗江(四十)が営む居酒屋。
ふと入口のドアを見る紗江。
半透明の横開きの扉の外には、『居酒屋 かもん』と書かれた暖簾が掛かっているが、色あせて白い皺が目立っている。
ピューという音がドアの隙間から聞こえてくる。
身ぶるいする紗江。
お客は一人もいない。
紗江はカウンターの席に座っている。
紗江「はー(ため息)」
テレビではデパートの豪華な飾り付けや、年末の街を行き交う人々の様子を伝えている。彼らの笑顔だけが紗江の目に焼きつく。
紗江「みんな楽しそうね」
そう呟いた後に、また溜息が出る。
古びた内装でぱっとしない店の様子。
紗江「ねぇ、今少しならお金があるわ、宝くじでも買ってみない? 五百万円くらい当たるかもしれないわ。そうしたら、お店を改装できるのよ。また昔みたいにお客さんの集まる、賑やかな店にできるのよ」
椅子に座ったままうつらうつらしている和夫は、一旦目を開き、またすぐに瞑る。
和夫「不幸な人間がパンを床に落とすと必ずジャムのついた面が床についてしまう。運が悪い時は何ごともうまくいかないものだよ。宝くじなんてやめときな。はずれるのが落ちさ」
紗江「じゃあ、私達ははずっとこのままだというの? このまま苦痛な毎日を一生送っていくっていうの?」
紗江の肩が震えて、冷たいものが頬をつたう。
店の外の道をはしゃぎながら歩いていく男女のグループがいる。楽しそうに盛り上がっている。足音は次第に遠ざかっていく。
和夫は、紗江の頬を流れた涙を優しく人差し指で拭き取る。
和夫「大丈夫、今日はクリスマスイブだろ? きっといいことがあるよ」
紗江「そんな気休め言わないでよ。去年も同じこと言っていたじゃない。結局一人もお客さんが来なくて、寂しく二人でテレビを観ていただけだったわ」
和夫「でも、今年はこの店をやりはじめて丁度二十年だろ? 絶対いいことがあるはずだよ」
紗江「そうね。希望を持たなくちゃね。きっと……」
紗江は言葉の途中で身を縮ませる。
入り口のドアが騒々しく開き、一人の男が立っている。
しばらくしてお客だと気が付く和夫と紗江。
和夫「いらっしゃい(冷静さを装って)」
紗江は急いでカウンターの中に移動してお客を迎え入れる。
お客の男の年齢は五十歳前後。目じりの横の皺があり、優しそうな顔をしている。
男はカウンターに座ると隣の席に風呂敷に包まれた荷物を置き、着ていたコートを脱ぐ。
ウイスキーを注文したあと、和夫に話し掛ける。
男A「今日は客が誰も来てないんだね」
和夫「そうなんでよ。クリスマスですから、みんな家で楽しくやっているんじゃないんですかね」
和夫はそう言いながら一瞬鋭い視線を男Aに投げかけ、男Aがどんな人間なのか想像する。
和夫N「職業はサラリーマンではないな。コートは着ているけど、その中には厚手セーターを着こんでいるから会社帰りにはとても見えない。普通はいったん家に帰ったあとに改めて飲み屋に出かけたりはしないはず……」
男Aはお絞りで手を拭く。
男A「そうですね、やはりクリスマスは家族と過ごすのが一番。世間では恋人達のクリスマスなんて言ってはいるけれど、私は、家族全員がそろって、コタツに入って、丸いおっきなケーキをカットしてわいわい騒ぎながら食べるっていうのがいいんですがね」
紗江「今日は家族とはお過ごしにならないの?」
男A「過ごせたらいいんだけど、あいにく私は独り者でね。妻とは十年前に別れて、子供もいない。だから今はほんとに孤独なんですよ。仕事から疲れて帰っても、愚痴を言う相手もいない。ほんと退屈な毎日です」
男Aはそういうと紗江の差し出したグラスウィスキーを一口飲み、小さな溜息をつく。
紗江N「この人もこうして毎日、私と同じように溜め息をついているのかしら?」
そう思い急に男Aとの距離が近付いた感じがする紗江。
男A「実はね、この先にある友人の家に行く途中だったんですが、外があまりに寒くてね。この店の入り口の灯りに誘われて入ってきたってわけですよ」
和夫「そうなんですか。友人とクリスマスを過ごすっていうのもなかなかいいじゃないですか。古代ローマの哲学者キケロは『人生から友情を取り去ってしまうことは、太陽をこの世から取り去ってしまうことだ』といっています。友人と語り合いながら過ごすクリスマスもまた格別なのではないでしょうか」
男A「ほう、あなたはなかなか博識なようだ」
和夫「いえ、こういう仕事を長くやっていますとお客様からいろいろなお話を伺うことができますから」
紗江N「物知りで、お客さんとも盛り上がるのだけれど、ときどき調子に乗りすぎて余計な知識を延々と語り始めてしまうのが和夫の欠点……。今日は調子に乗りすぎませんように」
心の中で祈る紗江。
男A「私はね長年疑問に思っていることがあるんだが、それについて教えてはくれないだろうか?」
和夫「ええ、いいですよ。私が分かることでしたらお答えします」
男A「レストランでワインを注文すると、ソムリエがコルクを抜いてグラスに注いでくれるだろ?」
和夫「はい」
男A「そのとき、目を見たままじっと隣に立っている。それでもって私が一口飲んで軽く会釈するまで立ち去ってくれない。あれはいったい何が目的なんだ?」
和夫「それはテイスティングというもので、簡単にいうと味見です。お客さまに一口飲んでいただいて味を確認してもらうのが目的です」
男Aの表情を確認する和夫。
和夫「ワインが作れらはじめたローマ時代には今のようにビンではなく大きな甕に入れて保存していたんです。さらに、酸化防止のためにワインの上には油が浮かせてありました」
男A「ほう」
和夫「そのため、移しかえるときに油粕が混ざってしまうことがあるし、風味が著しく損なわれてしまっていることもあったんです。ですから、まず主人役が味見をして問題なしとなったら、さあどうぞって出していたんです。その儀式が残っているというわけです」
まだ何か話そうとする和夫を遮る紗江。
紗江「そういうことなんですよ」
和夫「な、なんだよ(小声で)」
紗江「これ以上いいの。お客さんはそんなに細かいこと聞きたくないんだから」
男Aは何度も頷く。
男A「なるほど、そういうわけか。それなら仕方ないな」
男Aは一度、席の奥に座り直し、背筋を伸ばす。
男A「丁寧に教えてくれてありがとう。ところで、今教えてもらったお礼といってはなんだが、いいものを御見せしよう」
風呂敷に包まれた荷物をカウンターの上に置く男A。
白い花の描かれた、紫色の風呂敷に包まれた箱型のもの。
男A「さっき話した友人がどうしても見たいっていうので持って来たんだが……」
男はそう言いながら風呂敷をほどき、中から長方形をした郵便物らしきものを取り出す。お弁当箱程度の大きさの箱で、紙に包まれている。その紙には切手が四枚張られ、住所と郵便番号が書かれている。
紗江「郵便小包のように見えるけど、どこかから送られてきたんですか?」
男A「ええ、そうです。私の父が友人から譲り受けたものです。ですが、父は亡くなったので、今は私のものですよ」
包んでいた紙を取り、中から黒い木の箱を取り出す。古いものだが、漆の光沢が今でも残っていて、箱全体が浮かび上がっているように見える。
和夫「その中には何が入ってるのですか?」
和夫が身を乗り出して尋ねる。
軽く笑みを浮かべる男A。
男A「中に何が入っているのか当ててみてください。もし当てることができたら中のものを差し上げますよ」
紗江「中身を当てろか......」
和夫のほうをちらりと見る紗江。
想像力をかきたてるような突然の発言にうれしさを隠せない和夫は、瞬きするのも忘れじっと観察している。
紗江はそんな和夫を見て冷静に思う。
紗江「いくらなんでも、中身を当てるなんて無理でしょ」
男Aのグラスの水滴が一滴すーっと流れる。
和夫「あなたは箱を片手で容易に持っていたから、あまり重いものではなさそうですね。それに、ダイヤとかいった貴金属でもないはずです」
男A「なぜそう思う?」
和夫「その箱は桐の箱ですよね。桐の箱の特徴は湿気に強いのと虫がわき難いということです。貴金属ならわざわざそんな箱は使わないはずじゃあないですか?」
男A「なるほど、では、何が入っていると思う?」
和夫「僕は桐の箱に入っているということがどうしても引っかかるんです。何か意味があるはずです」
少し考えて続ける。
和夫「湿気や虫に弱い美術品ではないでしょうか?」
紗江「そうね、私もそう思うわ」
紗江は反射的にそう言う。
紗江N「ひょっとしたらほんとに当ててしまうかもしれない……
そう思い、手をぎゅっと握り締める紗江。しっかりと汗ばんでいる。
和夫「桐は内部に細かい空洞がたくさんあって熱伝導が非常に悪いので他の素材に比べて火災に強い。火の海に巻き込まれても、表面は黒焦げになってしまうが、中のものは大丈夫なんです」
男A「なるほど…、で、どんな美術品が入っていると思う?」
和夫は腕を組んで目を閉じる。眉もしかめている。
和夫「その桐の箱の中には燃えやすい木が入ってるのではないでしょうか? 木の中に木、なかなか面白いですよね」
男A「木が美術品?」
和夫「いえいえ、もちろんただの木ではありません。きっと彫刻です。誰か有名な方の作品だと思います」
和夫は男の目をじっと見つめる。
紗江N「和夫の推理は理論的だし正確だ。間違いない。彫刻だ」
正解を確信して喜ぶ紗江。
男A「なるほど、君は想像力が豊かなようだ。しかし、今回は外れだ。中身は彫刻ではないですよ」
がっかりする紗江。
和夫「そうですか、残念です。中身を貰えるかもしれないと思ってがんばったんですがね(苦笑いしながら)」
男A「じゃあ、次はあなただ。何が入っていると思う?」
紗江「えっ、私? 私はさっぱりわからないわ。とにかく早く中を見てみたいんですけど……」
男A「そうですね、そろそろ中を見せてもいいでしょう。あれこれ口で説明するより実際目で見てもらったほうが手っ取り早い」
男Aは小さく咳払いをして、ふたりの顔を見回した後ゆっくりと箱の蓋を開く。
和夫が真っ先に覗き込む。
紗江も和夫の肩越しに目線を送る。
箱の中身は黒い塊。力士のする髷のような形。しかし、つやはない。
傍らには三日月の格好をした櫛が置かれている。
和夫「これは、ひょっとして髪の毛ですか?」
驚く和夫。
和夫「この傷み具合からするとかなり古そうですね。隣に置かれた櫛もなかなか美しいですね」
箱の中に入っているのは丁寧に束ねられた髪の毛。
カツラができるほどではないが、ある程度の量は入っている。
一本の長さは一メールぐらいはある。添えられている櫛と並べて観ると、ひとつの芸術作品のように整った感じがする。
和夫「珍しいものってこの真っ黒な髪の毛のことですか? もしかして、すごい有名人のものだとか」
男A「ええ、そうです。この髪の毛の持ち主だったのは玄宗皇帝の寵妃として生きた伝説の美女『楊貴妃』です」
紗江は眉を吊り上げる。
紗江「は?」
驚くというよりは、何をばかなことを言い出したのだという感じで言う。
紗江「確かにそうだったらすごいと思うけど、どうして彼女のだとわかるの?」
紗江N「まさか本物のわけがないわ。何千年も前に生きていた人間の髪の毛がそんなに簡単に現代まで残っているとは考えられないもの」
男A「絶対に彼女の髪の毛だという確証はない。しかし、そうだと言っていた親父の言葉を信じたい。どうだいマスター、これが本物だと思うかね?」
これが本物の楊貴妃の髪の毛だと信じて疑わない、といった力強い眼差しで和夫の目を見る男A。
紗江「彼の父は誰かに騙されて買わされたんだろう。かわいそうに……」
そんな紗江の気持ちには気が付かない和夫。
和夫「わたしはそれが本物かどうかということに対してはなんとも言えませんが、楊貴妃の髪の毛に関してはあるエピソードがあります」
男Aは目をさらに大きく開ける。
男A「どんなエピソードかね?」
和夫「楊貴妃は安禄山の乱で逃れる際に、兵士に首をはねられて亡くなったと伝えられていますが、一説ではその際に髪の毛をすべて切られたといわれています」
紗江「どうして切られちゃったの?」
和夫「それについては真相ははっきりしないんだけど、楊貴妃の香りに関する伝説に関係あるのかもしれない」
男A「伝説?」
和夫「あるとき楊貴妃のかぶっていた頭巾が風で飛ばされ、そばにいた琵琶弾きの頭巾の上に乗ったんです。しばらくそのままになったらしいのですが、家に帰ってからも琵琶弾きの全身はかぐわしい香りに包まれていた……という話がある」
紗江「そうか。その香りを得るために首をはねたあとに、髪の毛をすべて奪ったってわけね」
紗江は小刻みに首を縦に振りながら言う。
紗江「でも、もしそうだとするとこの髪は偽物のように思えてくるわね。だってそうでしょ、だいたいそれは中国の話なんだから、中国の博物館とかに収められているならともかく、こんな日本に住んでいる一個人が所有しているなんてことは考え難いわ」
男A「やはり偽物なんだろうか……」
和夫「いえ、待ってください。もうひとつ興味深いエピソードがあります」
男A「何です? 聞かせてくれないかな?」
満面の笑みを浮かべる和夫にすがるような目を向ける。
和夫「安禄山の乱で殺された楊貴妃が実は替え玉であり、本物は逃げ延びて日本に渡り、当時の女帝であった考謙帝に保護されたという話があります」
男A「それは本当かね!」
和夫「ええ、そういった説があるのは本当です。山口県の油谷町向津具にある二尊院という古寺には、楊貴妃のために建てられたという塔があります。いい伝えによると、楊貴妃と名乗る美女がこの村の海岸に漂着したがまもなく亡くなったため、哀れに思った村人達が二尊院に埋葬してやったそうです」
紗江「そうか、そのときに髪が切られたっていうことも可能性としてはあるってわけね。そういう話ってなんか心が温まるっていう感じでロマンチックよね」
男A「なんか今の話を聞いて、これがまんざら偽物でもないって感じがしてきましたよ。しかし、これがもし本物だとすると、いったいどれくらいの価値があるんだろう」
紗江N「髪の毛といえば、広い意味では人間の体の一部だ。そういったものはいったいどんな価値が生まれるのだろうか? アインシュタインやスターリンの脳味噌は今でも残されているというけれど、値段は付いていない……」
和夫「わたしはそういった歴史上の人物の髪の毛にどれくらい価値があるかということに関しては知識がないのでなんとも言えないですが……」
男A「ええ」
和夫「エジプトのスフィンクス像にもともと髭があって、もっともこのような毛ではなくて石でできたものですが、その髭の一部がエジプトとロンドンの大英博物館に保管されているという話は聞いたことがあります」
男A「スフィンクスに髭とは驚きだな。小学生のころ国語の授業が退屈なときに、作者紹介の写真の顔に髭を書いたりして遊んだものだが、今度、暇なときにスフィンクスの写真でも見て髭の痕跡でもないか確かめて見よう」
紗江「ねえ、ねえ、そんなことはどうでもいいわ。なんとかそれが本物かどうか確かめて、価値がどれくらいあるものなのか知る方法はないの?」
じれったくなって会話に割って入る紗江。
和夫「本物かどうかを確実に確かめるんだったら、まず年代測定かなあ。この髪の毛が何年前のものかわかれば、偽物かどうかもだいたい判断できるはずだから」
紗江「これがいつのものか、なんてことがわかるの?」
和夫「うん、よく考古学とかでは炭素十四の半減期を利用した年代測定が行われているから、この髪の毛も年代測定できると思うよ。それで百年前とかなれば偽物だろうし、楊貴妃の生きていた千三百年くらい前と測定されれば本物の可能性が高い」
紗江「へー、よくわからないけどとにかくそれで本物かどうか知ることができるのね」
男A「ちょっとまってくれ」
男Aは二人の会話を途中で止めると、自分のコートの内ポケットから数枚の紙を取り出した。
男A「実はその年代測定というものはしたことがあるんだよ。これがその結果だ」
和夫に今取り出した紙を渡した。
和夫は確認してから言う。
和夫「えっ?」
何かを呟きながら結果を何度も確かめたあとに紗江にも見せる。
紗江「測定結果が千三百年前……」
紗江N「和夫も口では本物かもしれないというようなことを言っていたけど、内心は偽物に違いないと感じていたはずだから、この結果に戸惑っているのね」
ちらりと和夫の様子を伺う紗江。
紗江N「でも、髪の毛が本物だとはどうしても思えない。測定結果の数値を付きつけられて、なぜだか逆に偽物だという思いが強くなったわ」
和夫「なるほど、千三百年前ですか。それが本物である可能性が高くなりましたね」
男A「そう思うかね。わたしもその結果を初めて見たときはうれしくて涙が出たよ。父親の言っていたことは本当だったってね」
和夫「そうでしょう」
男A「だけど、どうしてもその結果だけでは百%信じることができないでいた。何らかの測定ミスかもしれないからね。だけど、今日、あなたから色々話を聞いて本物だと自信がもてるようになったよ。ありがとう」
そう言うと、立ち上がって和夫に握手を求める。
和夫は一歩後ろに下がって、遠慮がちに手を差し出す。
和夫「それはすごく価値があるものだと思いますから大切に保管されることをお薦めします。もしよろしければ、美術館に寄付するというのもいいかもしれません。そうすれば沢山の人たちに見てもらうことができますから」
男A「美術館に寄付か。それもなかなかいいかもしれないが、それだと、わたしが自分で触れなくなってしまうからね。みんなにも見てもらいたいという気持ちはあるのだけれど、好きなときに触ることができないというのは、寂しいなあ」
グラスに手をやる男A。
氷がぱきりと音を立てる。
男Aはさっと顔を上げる。
男A「いい方法を思い付いた。自分で触れて、しかも、大勢の人に見てもらえる方法を」
和夫「なんですかその方法っていうのは?」
男A「この店に飾ってもらうことだよ。お店に飾ってもらえれば、多くの人が見てくれるだろうし、ここなら、わたしも時々来て触ることができる。家は近所だからね。いい方法だとは思わないかい?」
和夫「それをわたし譲るってことですか?」
緊張でつばを飲み込む和夫。
男A「そういうことだ。いつもはわたし独りで見ていたが、やはりこういった価値のあるものは大勢の人に見てもらったほうがいいはずだし、死んだ父もそのほうが喜んでくれると思う」
和夫「……」
男A「大勢の人たちが酒を飲みながらこの宝を見て、わいわい騒いでいる姿を想像すると楽しそうに思えるだろ?」
和夫「しかし、そんな高価なものを只でいただくわけにはいかないのですが」
男A「そうですか。確かにあなたの言うとおりかもしれない、わたしもこんなものを只でもらったら気味が悪い感じがするに違いない」
和夫「ええ、だと思います」
男A「それなら買い取ってもらうという形にしたらどうだろう? それならすっきりするんではなかろうか」
和夫「買い取るって、幾らで譲ってもらえるのでしょうか?」
男A「わたしはこの宝の価値を判断できないから、高からず安からずという額の三十万円ということではどうだろうか? あなたが買い取ったあとで、実は何千万もするものだとわかってもお金を要求したりはしないよ」
男Aは穏やかな微笑を浮かべる。
紗江N「やっぱりそうだわ。間違いない。この髪の毛は偽物だ。高価なものだということをアピールしておいて私たちに買わせようって魂胆だったのよ。最初から騙そうとしていたんだわ」
男Aを睨む紗江。
紗江N「だけど、そうはいかない。そんな子供騙しな詐欺に引っかかる私じゃないんだからね」
紗江は和夫を店の奥に行くように促す。
和夫「ちょっとすいません」
和夫は一言そういうと紗江のあとに続いて、店の奥に向かう。
◎居酒屋 奥部屋 夜
男Aの姿が見えないのを確認すると小声で言う。
紗江「あの男怪しくない? きっと詐欺よね」
和夫は紗江の言葉を無視して言う。
和夫「なあ、今三十万用意できるか?」
紗江「ちょっと、どういうこと。もしかして買う気じゃないでしょうね。あんなの偽物に決まっているわ。確かに年代測定では合ってたかもしれないけどあの結果の紙自体が偽造かもしれないでしょ」
和夫「まあ、まあ、そう焦るなって。お前はまだわかってないだけだよ」
紗江「何がわかってないというの? いつものように『おまえの考えはユークリッド幾何学のように単純だ。だから理解できないんだ』とでも言うつもり?」
和夫は紗江のあまりの怒り方に戸惑い、顔を引きつらせる。
和夫「おまえの言っていることもわかるが、今回は僕に任せてくれ」
紗江「任せられないわよ。私達がどういう状況にあるかわかっているの? 三十万円なんて払えるわけないじゃない。そんな大金渡してしまったら明日から暮らしていけないわよ」
和夫「……」
紗江「大げさに言ってるわけじゃない。確かに今現時点で、手元にはぎりぎり三十万はあるけれど、これは家賃や店の食材を買うためのもの。これがなくなってしまったら、明日からどう店をやっていけばいいのよ」
和夫「君の言うことは正しいよ、確かにそうだ。だけどね、物事はもっと色々な角度から見ないと真実は見えないよ。ダイヤモンドと石炭を考えてみてよ。見た目はぜんぜん違って、価値もまったく違うけれど両方とも原料は炭素だけだ。炭素原子の配列が違っているだけなんだから……」
紗江「また難しいこといってごまかそうとしても今回はだめよ、生活がかかってるんだから」
和夫「いいかい、男が入ってきてから今までのことをよく思い出して考えてみてよ。髪の毛というひとつのことにとらわれてはだめ、全体を通してよく考えるんだ」
意思のこもった和夫の目に、紗江は目線を逸らす。
紗江N「和夫は何を言いたいのだろう? ダイヤだのよく思い出せなどと言って、意味がわからない。だけど和夫がそう言うのなら何か考えがあるのかもしれない」
紗江はこれまでの出来事を思い出してみるが、これといって何も気が付くことはない。
足の位置を変えると、床の板が軋む。
紗江「考えるとどうなるの?」
和夫「そうしたら、なぜ僕があれを買おうと思っているかわかるはずだよ」
紗江N「和夫がなんの根拠もなくこんなことを言うわけがないことは私が一番よくわかっているけど……」
和夫「……」
紗江N 「どう考えても和夫があの髪の毛を本物のお宝だと思っているとは考えられない。偽物だと気が付いているはずだ。だとすると何のために買おうとしているのだろうか? 偽物だとわかっていて買うなんてことがあるのだろうか?」
紗江「考えてもわからないわ。遠回しに言わないではっきり言ってよ」
和夫「いや、僕の口からは今は言えないんだよ。君が知ることで少々問題が生じるんでね。とにかく今回は僕に従ってほしいんだ」
紗江は下唇を噛み締めたままうつむく。
紗江N「どうしよう。確かに和夫が何を考えているのか興味はある。だけど、それが何かわからないままお金を渡してよいものだろうか? 和夫の考えが正しくないということもある。そのときは、お金はなくなってしまうのだ。文字通り一文なしになる」
そのとき、「今日はクリスマスだからいいことがあるはず」という和夫の言葉を思い出す紗江。
紗江は大きな溜息をつく。
紗江「負けたわ。何か考えがあるんだったら好きにしていいわ。ただし、後でその秘密にしていることを教えてよ」
和夫「ああ、わかってるさ。後悔はさせないよ」
そう言って紗江の肩をぽんと軽く叩く和夫。
紗江N「もうどうにでもなれ」
和夫「さぁ、向こうに行って話の続きをしよう」
紗江は軽く頷き、和夫のあとについて男Aのもとに向かう。
ふと目に写った窓の外には、枝に化粧をした木が微かに揺らいでいる。
紗江「雪か......何年ぶりかのホワイトクリスマスになりそうね」
◎居酒屋 夜
和夫と紗江が店の奥に引っ込んでから十分が経過したころ。
男Aは壁の時計に目をやる。午後十時。
まだ二人の議論は続いている。
待たされている男は苛立っている。
男AN「いったい何を話しているんだ?」
慌しくポケットから煙草を取り出すと火を点ける。
男A「あいつを選んだのは間違いだったのか? だが、下準備は完璧だったはず……三カ月前に見かけた男があいつなら間違いなくうまくいく。計画は完全で、失敗するはずがない。そう信じるしかない」
男Aの目に写るテレビの中では、サンタクロースが子供たちにプレゼントを手渡ししている。どこかのデパートのイベントのよう。小さな女の子が、自分の身長くらいもあるぬいぐるみを抱きかかえている姿がアップになる。
男A「俺も心を躍らせるようなクリスマスプレゼントを貰いたいものだな……」
そんなことを考えていると突然二人が戻って来てびくりとする。
和夫「お待たせしました。時間が掛かってしまって退屈なさっていたんじゃないですか?」
和夫は頭に手をやりながら一礼する。
紗江もできる限りの作り笑顔を見せる。
男A「いや、そんなことはないですよ。テレビを見ていましたから大丈夫です。それより、話し合いのほうはどうでした?」
男Aは不安な気持ちを悟られないように冷静さを装ってタバコをゆっくりと吸う。
指に挟まれたタバコの煙が真っ直ぐ天井に向かってのびる。
和夫「いろいろ考えたんですが、三十万円で買わせてもらうことにしました。それを飾って、店にやってくるお客さんたちに自慢させてもらいますよ」
その言葉を聞いて安心した様子で、男Aはタバコを揉み消し、残っていたウイスキーを一気に飲み干す。
男A「では、これはあなたのものだ。大切にしてください」
桐の箱を和夫に差し出す男A。
和夫から三十万を受け取ると満足そうな表情を浮かべる。
紗江はふたりの行動をいぶかしげに眺めている。笑顔はすっかり消えている。
紗江N「これで本当に一文なしになってしまった……」
和夫は男Aに負けないくらいの満足そうな表情で笑っている。
それからしばらくして男Aは、
男A「また来るよ」
という一言を残して帰って行く。
◎屋外の道 夜
外は冷え込みが激しく、雪もぱらついている。
あたりに人影はない。
男Aは帰路を急ぐ。
男A「まさか、あんなに簡単に信じるとはね。ほんと笑いが止まらないぜ」
口元が緩みっぱなしの男A。
まだ誰も踏んでいない雪の上を、はしゃぐように走る。
男A「今ごろふたりで、すごいお宝を手に入れたと喜んでいるんだろうな」
そう呟いて、口を手に当てて笑う。
男A「おそらくまだあいつは気が付いていないと思うけれど、あんなものは偽物だから価値なんてまったくない。それにしても、あの男もたいしたことないな。確かに予想以上にものを知っていてびっくりはしたが結局はだまされやがった」
雪がいよいよ本降りになってくる。
傘を持っていない男Aにとっては、数メートル先を見るのがやっとの状態。
男A「和夫さん。クリスマスプレゼントをありがとうよ」
男は寒さに身を震わせながら金の使い道を考える。
◎居酒屋 夜
紗江は男Aが帰ったのを確認すると、手に入れたばかりの髪の毛を鷲掴みにして、和夫の目の前まで掲げて見せる。
紗江「ねぇ、これをどうするつもりなの?」
和夫「あっ、それね。捨てちゃっていいよ。どうせ価値なんてない偽物だから」
紗江「なんですって? どういうことよ。偽物だとわかっていて買ったっていうの?」
和夫「ああ、わかっていたよ。最初に『楊貴妃の髪の毛』って聞いたときからね」
軽く笑顔を見せる和夫。
紗江「思った通り確信犯だったのね……」
紗江は焦らずゆっくりとした口調で、
紗江「でも最初は本物かどうかわからなかったんじゃないの?」
和夫「よく考えてみろ。あの男はあの宝を父親から譲り受けたと言っていたよね。もしそれが本当だとすると、受け取って真っ先に本物かどうか確かめたくなるだろ?」
紗江「そりゃあ、そうよね。そこが一番大切なところだもの」
和夫「だから、そのあと、いろいろ楊貴妃について調べたはずだ。だけど、あの男は僕の楊貴妃に関する話を初めて聞いたと言っていた。それはおかしいよ」
紗江「そうか、わかったわ。初めて聞いたように見せかけていたけど実はそんなことはとっくに知っていて、あなたが髪の毛の価値を判断できるかどうか試していたのね」
和夫「ああ、そういうことだろう」
紗江「それで、価値がわかりそうだったら売りつけてやろうと思ってたんだ」
和夫「うん」
紗江「だけど年代分析の結果はどうなの? 合っていたみたいだったけど」
和夫「あれは君がいった通り偽物だよ。あんな紙切れすぐに作ることができるからね。中国では唐の時代、皇后の礼装は仮髪に歩揺という髪飾りをつけ、さらに花や鳥をデザインした豪華な飾りを重ねたものだったんだ」
紗江「へえ」
和夫「玄宗帝の妃であり、絶世の美女として名高い楊貴妃も、この優雅なかつらを愛用していたわけだ。だから、楊貴妃の髪の毛があんなに長いとも思えない。きっとあれは誰か別の人の髪の毛だよ。そんなに昔のものでもないと思う」
紗江「ところで、そうだとすると、なぜ買ったりしたの? あの男はだまそうとしてたんでしょ。なのに、それを知っていて買うなんてどうかしているわ」
和夫「まあまあ、僕のねらいは髪の毛とは別なところにあったんだよ。あの男は髪の毛を見せるとき風呂敷を開け、紙の包みを開け、そして箱を取り出した」
紗江「なら、この箱に価値があるってことね」
箱を持ち上げて眺める紗江。
紗江「確かに高級そうね」
和夫「いや、この箱はもう古いし価値はないだろう。彼は騙そうとしているのにわざわざ高級な箱に入れてきたりはしないはずだろ? どっかの骨董品屋で叩き売りしているのを買ったんだよ。価値があるのは、その包み紙のほうさ」
そう言うと、和夫は箱を包装していた紙の皺を丁寧に伸ばしながら、カウンターにひく。どっから見てもただの古い紙。
紗江「えっ、こんな包み紙のどこに価値があるっていうの?」
紗江は包装紙に顔を近づけて眺める。
和夫「包み紙そのもののことじゃあないよ」
急に真剣な顔になる和夫。
和夫「男が風呂敷を取ったときはほんとに驚いたよ。まさかこんなところでそれを拝むことができるなんてね」
和夫は貼られていた切手を指差した。
包装紙には切手が四枚張られている。どれも白黒で古い。黄色くなりかけた色合いが年代を感じさせる。図柄は人物画だった。
和夫「その昭和天皇立太子礼の切手は、大正五年の十一月三日に発行されたものなんだけど、そのときの発行枚数が少なかったからすごい貴重なものなんだ。しかも、四枚張られているけど、運が良いことに消印が掛かってるのは一枚だけ。三枚は未使用としての価値がある」
紗江「えっ?」
和夫「さっきお前にこのことを言えなかったのは男に切手を狙っていることを悟られないためだよ。このことを知ってしまうとお前は絶対切手に目がいってしまうからね。そうなって、万が一にでも男が切手の価値を気にしだしたら売って貰えなくなる」
紗江「じゃあ、いったいどれくらいの価値があるの?」
和夫「はっきりしたことはわからないけど全部で数百万にはなるはずだよ。切手収集家の僕が断言する」
紗江「数百万円? すごいわ、これでお店を改装できるかもしれないわね」
紗江N「やっと私たちにも心の底から喜べるクリスマスがやってきたんだわ。どれだけこの日を待ち望んでいただろうか。悲しい毎日とさよならできる。こんなにも嬉しいことはない」
紗江「神様ありがとう。メリークリスマス」
これまでの人生で最高のクリスマスプレゼントを与えてくれた幸運の神に感謝する紗江。
テレビには、イルミネーションの明かりも消えて、誰もいなくなった町の様子が映し出されている。雪だけが、すべての温かさを消し去るように降り続けている。
◎屋外の道 夜
雪で真っ白になった男Aは身を縮めながら走っている。
白い息が小刻みに吐き出される。
古ぼけたアパートまで来ると、階段を上り、一室をノックする。
すると中から別の男が現れる。不精髭を生やした、目つきの鋭い男Bだ。
男B「おお、お前か。何をやっていた。遅いじゃないか」
男A「少々時間は掛かったがきっちり金は手に入れたぜ」
服に付いた雪を払い落としながら言う男A。
◎アパートの部屋 夜
部屋に上がるとふたりは毛布に包まり、向かい合って座ると、男Aが手に入れてきたお金を中央に置く。
部屋の中には暖房器具はなく、暖を取るには布団にでも包まっているしかない。
男B「で、どんな具合だった?」
男A「あの男はやはり俺達があそこで見た男だったよ。だから計画通りに事が運んだ」
男B「奴はしっかりお前の持って行ったあれに反応して金を払ったんだな?」
男Bは「あれ」を強調する。
男A「ああ、まったく疑ってなかったみたいだ。あれを見た瞬間の奴の顔っていったらなかったぜ。瞳孔が開きっぱなしってやつさ。今ごろ妻にあれの価値の説明でもしてるんじゃないのかな? 俺たちが作った偽物だとも知らずにな」
男B「そうか、それはお笑いだな。どうだ、さっそく次のターゲットでも決めるか?」
細い目をさらに細くして言った。
男A「まだいいんじゃないのか? 金も手に入ったばかりだしな。それにもう三人目だろ、そろそろ噂が広まってないか?」
男B「いや、大丈夫だ。収集家ってやつは手に入れた後に偽物だと気が付いても『偽物を掴まされた』なんてことは絶対言わないプライドの塊みたいな人種だ。三十万くらいじゃ黙ってるさ」
男A「それもそうだな。じゃあ、さっそく次に開かれる切手コレクターの集いに参加しよう」
終わり
黒川和夫(四十五)と紗江(四十)が営む居酒屋。
ふと入口のドアを見る紗江。
半透明の横開きの扉の外には、『居酒屋 かもん』と書かれた暖簾が掛かっているが、色あせて白い皺が目立っている。
ピューという音がドアの隙間から聞こえてくる。
身ぶるいする紗江。
お客は一人もいない。
紗江はカウンターの席に座っている。
紗江「はー(ため息)」
テレビではデパートの豪華な飾り付けや、年末の街を行き交う人々の様子を伝えている。彼らの笑顔だけが紗江の目に焼きつく。
紗江「みんな楽しそうね」
そう呟いた後に、また溜息が出る。
古びた内装でぱっとしない店の様子。
紗江「ねぇ、今少しならお金があるわ、宝くじでも買ってみない? 五百万円くらい当たるかもしれないわ。そうしたら、お店を改装できるのよ。また昔みたいにお客さんの集まる、賑やかな店にできるのよ」
椅子に座ったままうつらうつらしている和夫は、一旦目を開き、またすぐに瞑る。
和夫「不幸な人間がパンを床に落とすと必ずジャムのついた面が床についてしまう。運が悪い時は何ごともうまくいかないものだよ。宝くじなんてやめときな。はずれるのが落ちさ」
紗江「じゃあ、私達ははずっとこのままだというの? このまま苦痛な毎日を一生送っていくっていうの?」
紗江の肩が震えて、冷たいものが頬をつたう。
店の外の道をはしゃぎながら歩いていく男女のグループがいる。楽しそうに盛り上がっている。足音は次第に遠ざかっていく。
和夫は、紗江の頬を流れた涙を優しく人差し指で拭き取る。
和夫「大丈夫、今日はクリスマスイブだろ? きっといいことがあるよ」
紗江「そんな気休め言わないでよ。去年も同じこと言っていたじゃない。結局一人もお客さんが来なくて、寂しく二人でテレビを観ていただけだったわ」
和夫「でも、今年はこの店をやりはじめて丁度二十年だろ? 絶対いいことがあるはずだよ」
紗江「そうね。希望を持たなくちゃね。きっと……」
紗江は言葉の途中で身を縮ませる。
入り口のドアが騒々しく開き、一人の男が立っている。
しばらくしてお客だと気が付く和夫と紗江。
和夫「いらっしゃい(冷静さを装って)」
紗江は急いでカウンターの中に移動してお客を迎え入れる。
お客の男の年齢は五十歳前後。目じりの横の皺があり、優しそうな顔をしている。
男はカウンターに座ると隣の席に風呂敷に包まれた荷物を置き、着ていたコートを脱ぐ。
ウイスキーを注文したあと、和夫に話し掛ける。
男A「今日は客が誰も来てないんだね」
和夫「そうなんでよ。クリスマスですから、みんな家で楽しくやっているんじゃないんですかね」
和夫はそう言いながら一瞬鋭い視線を男Aに投げかけ、男Aがどんな人間なのか想像する。
和夫N「職業はサラリーマンではないな。コートは着ているけど、その中には厚手セーターを着こんでいるから会社帰りにはとても見えない。普通はいったん家に帰ったあとに改めて飲み屋に出かけたりはしないはず……」
男Aはお絞りで手を拭く。
男A「そうですね、やはりクリスマスは家族と過ごすのが一番。世間では恋人達のクリスマスなんて言ってはいるけれど、私は、家族全員がそろって、コタツに入って、丸いおっきなケーキをカットしてわいわい騒ぎながら食べるっていうのがいいんですがね」
紗江「今日は家族とはお過ごしにならないの?」
男A「過ごせたらいいんだけど、あいにく私は独り者でね。妻とは十年前に別れて、子供もいない。だから今はほんとに孤独なんですよ。仕事から疲れて帰っても、愚痴を言う相手もいない。ほんと退屈な毎日です」
男Aはそういうと紗江の差し出したグラスウィスキーを一口飲み、小さな溜息をつく。
紗江N「この人もこうして毎日、私と同じように溜め息をついているのかしら?」
そう思い急に男Aとの距離が近付いた感じがする紗江。
男A「実はね、この先にある友人の家に行く途中だったんですが、外があまりに寒くてね。この店の入り口の灯りに誘われて入ってきたってわけですよ」
和夫「そうなんですか。友人とクリスマスを過ごすっていうのもなかなかいいじゃないですか。古代ローマの哲学者キケロは『人生から友情を取り去ってしまうことは、太陽をこの世から取り去ってしまうことだ』といっています。友人と語り合いながら過ごすクリスマスもまた格別なのではないでしょうか」
男A「ほう、あなたはなかなか博識なようだ」
和夫「いえ、こういう仕事を長くやっていますとお客様からいろいろなお話を伺うことができますから」
紗江N「物知りで、お客さんとも盛り上がるのだけれど、ときどき調子に乗りすぎて余計な知識を延々と語り始めてしまうのが和夫の欠点……。今日は調子に乗りすぎませんように」
心の中で祈る紗江。
男A「私はね長年疑問に思っていることがあるんだが、それについて教えてはくれないだろうか?」
和夫「ええ、いいですよ。私が分かることでしたらお答えします」
男A「レストランでワインを注文すると、ソムリエがコルクを抜いてグラスに注いでくれるだろ?」
和夫「はい」
男A「そのとき、目を見たままじっと隣に立っている。それでもって私が一口飲んで軽く会釈するまで立ち去ってくれない。あれはいったい何が目的なんだ?」
和夫「それはテイスティングというもので、簡単にいうと味見です。お客さまに一口飲んでいただいて味を確認してもらうのが目的です」
男Aの表情を確認する和夫。
和夫「ワインが作れらはじめたローマ時代には今のようにビンではなく大きな甕に入れて保存していたんです。さらに、酸化防止のためにワインの上には油が浮かせてありました」
男A「ほう」
和夫「そのため、移しかえるときに油粕が混ざってしまうことがあるし、風味が著しく損なわれてしまっていることもあったんです。ですから、まず主人役が味見をして問題なしとなったら、さあどうぞって出していたんです。その儀式が残っているというわけです」
まだ何か話そうとする和夫を遮る紗江。
紗江「そういうことなんですよ」
和夫「な、なんだよ(小声で)」
紗江「これ以上いいの。お客さんはそんなに細かいこと聞きたくないんだから」
男Aは何度も頷く。
男A「なるほど、そういうわけか。それなら仕方ないな」
男Aは一度、席の奥に座り直し、背筋を伸ばす。
男A「丁寧に教えてくれてありがとう。ところで、今教えてもらったお礼といってはなんだが、いいものを御見せしよう」
風呂敷に包まれた荷物をカウンターの上に置く男A。
白い花の描かれた、紫色の風呂敷に包まれた箱型のもの。
男A「さっき話した友人がどうしても見たいっていうので持って来たんだが……」
男はそう言いながら風呂敷をほどき、中から長方形をした郵便物らしきものを取り出す。お弁当箱程度の大きさの箱で、紙に包まれている。その紙には切手が四枚張られ、住所と郵便番号が書かれている。
紗江「郵便小包のように見えるけど、どこかから送られてきたんですか?」
男A「ええ、そうです。私の父が友人から譲り受けたものです。ですが、父は亡くなったので、今は私のものですよ」
包んでいた紙を取り、中から黒い木の箱を取り出す。古いものだが、漆の光沢が今でも残っていて、箱全体が浮かび上がっているように見える。
和夫「その中には何が入ってるのですか?」
和夫が身を乗り出して尋ねる。
軽く笑みを浮かべる男A。
男A「中に何が入っているのか当ててみてください。もし当てることができたら中のものを差し上げますよ」
紗江「中身を当てろか......」
和夫のほうをちらりと見る紗江。
想像力をかきたてるような突然の発言にうれしさを隠せない和夫は、瞬きするのも忘れじっと観察している。
紗江はそんな和夫を見て冷静に思う。
紗江「いくらなんでも、中身を当てるなんて無理でしょ」
男Aのグラスの水滴が一滴すーっと流れる。
和夫「あなたは箱を片手で容易に持っていたから、あまり重いものではなさそうですね。それに、ダイヤとかいった貴金属でもないはずです」
男A「なぜそう思う?」
和夫「その箱は桐の箱ですよね。桐の箱の特徴は湿気に強いのと虫がわき難いということです。貴金属ならわざわざそんな箱は使わないはずじゃあないですか?」
男A「なるほど、では、何が入っていると思う?」
和夫「僕は桐の箱に入っているということがどうしても引っかかるんです。何か意味があるはずです」
少し考えて続ける。
和夫「湿気や虫に弱い美術品ではないでしょうか?」
紗江「そうね、私もそう思うわ」
紗江は反射的にそう言う。
紗江N「ひょっとしたらほんとに当ててしまうかもしれない……
そう思い、手をぎゅっと握り締める紗江。しっかりと汗ばんでいる。
和夫「桐は内部に細かい空洞がたくさんあって熱伝導が非常に悪いので他の素材に比べて火災に強い。火の海に巻き込まれても、表面は黒焦げになってしまうが、中のものは大丈夫なんです」
男A「なるほど…、で、どんな美術品が入っていると思う?」
和夫は腕を組んで目を閉じる。眉もしかめている。
和夫「その桐の箱の中には燃えやすい木が入ってるのではないでしょうか? 木の中に木、なかなか面白いですよね」
男A「木が美術品?」
和夫「いえいえ、もちろんただの木ではありません。きっと彫刻です。誰か有名な方の作品だと思います」
和夫は男の目をじっと見つめる。
紗江N「和夫の推理は理論的だし正確だ。間違いない。彫刻だ」
正解を確信して喜ぶ紗江。
男A「なるほど、君は想像力が豊かなようだ。しかし、今回は外れだ。中身は彫刻ではないですよ」
がっかりする紗江。
和夫「そうですか、残念です。中身を貰えるかもしれないと思ってがんばったんですがね(苦笑いしながら)」
男A「じゃあ、次はあなただ。何が入っていると思う?」
紗江「えっ、私? 私はさっぱりわからないわ。とにかく早く中を見てみたいんですけど……」
男A「そうですね、そろそろ中を見せてもいいでしょう。あれこれ口で説明するより実際目で見てもらったほうが手っ取り早い」
男Aは小さく咳払いをして、ふたりの顔を見回した後ゆっくりと箱の蓋を開く。
和夫が真っ先に覗き込む。
紗江も和夫の肩越しに目線を送る。
箱の中身は黒い塊。力士のする髷のような形。しかし、つやはない。
傍らには三日月の格好をした櫛が置かれている。
和夫「これは、ひょっとして髪の毛ですか?」
驚く和夫。
和夫「この傷み具合からするとかなり古そうですね。隣に置かれた櫛もなかなか美しいですね」
箱の中に入っているのは丁寧に束ねられた髪の毛。
カツラができるほどではないが、ある程度の量は入っている。
一本の長さは一メールぐらいはある。添えられている櫛と並べて観ると、ひとつの芸術作品のように整った感じがする。
和夫「珍しいものってこの真っ黒な髪の毛のことですか? もしかして、すごい有名人のものだとか」
男A「ええ、そうです。この髪の毛の持ち主だったのは玄宗皇帝の寵妃として生きた伝説の美女『楊貴妃』です」
紗江は眉を吊り上げる。
紗江「は?」
驚くというよりは、何をばかなことを言い出したのだという感じで言う。
紗江「確かにそうだったらすごいと思うけど、どうして彼女のだとわかるの?」
紗江N「まさか本物のわけがないわ。何千年も前に生きていた人間の髪の毛がそんなに簡単に現代まで残っているとは考えられないもの」
男A「絶対に彼女の髪の毛だという確証はない。しかし、そうだと言っていた親父の言葉を信じたい。どうだいマスター、これが本物だと思うかね?」
これが本物の楊貴妃の髪の毛だと信じて疑わない、といった力強い眼差しで和夫の目を見る男A。
紗江「彼の父は誰かに騙されて買わされたんだろう。かわいそうに……」
そんな紗江の気持ちには気が付かない和夫。
和夫「わたしはそれが本物かどうかということに対してはなんとも言えませんが、楊貴妃の髪の毛に関してはあるエピソードがあります」
男Aは目をさらに大きく開ける。
男A「どんなエピソードかね?」
和夫「楊貴妃は安禄山の乱で逃れる際に、兵士に首をはねられて亡くなったと伝えられていますが、一説ではその際に髪の毛をすべて切られたといわれています」
紗江「どうして切られちゃったの?」
和夫「それについては真相ははっきりしないんだけど、楊貴妃の香りに関する伝説に関係あるのかもしれない」
男A「伝説?」
和夫「あるとき楊貴妃のかぶっていた頭巾が風で飛ばされ、そばにいた琵琶弾きの頭巾の上に乗ったんです。しばらくそのままになったらしいのですが、家に帰ってからも琵琶弾きの全身はかぐわしい香りに包まれていた……という話がある」
紗江「そうか。その香りを得るために首をはねたあとに、髪の毛をすべて奪ったってわけね」
紗江は小刻みに首を縦に振りながら言う。
紗江「でも、もしそうだとするとこの髪は偽物のように思えてくるわね。だってそうでしょ、だいたいそれは中国の話なんだから、中国の博物館とかに収められているならともかく、こんな日本に住んでいる一個人が所有しているなんてことは考え難いわ」
男A「やはり偽物なんだろうか……」
和夫「いえ、待ってください。もうひとつ興味深いエピソードがあります」
男A「何です? 聞かせてくれないかな?」
満面の笑みを浮かべる和夫にすがるような目を向ける。
和夫「安禄山の乱で殺された楊貴妃が実は替え玉であり、本物は逃げ延びて日本に渡り、当時の女帝であった考謙帝に保護されたという話があります」
男A「それは本当かね!」
和夫「ええ、そういった説があるのは本当です。山口県の油谷町向津具にある二尊院という古寺には、楊貴妃のために建てられたという塔があります。いい伝えによると、楊貴妃と名乗る美女がこの村の海岸に漂着したがまもなく亡くなったため、哀れに思った村人達が二尊院に埋葬してやったそうです」
紗江「そうか、そのときに髪が切られたっていうことも可能性としてはあるってわけね。そういう話ってなんか心が温まるっていう感じでロマンチックよね」
男A「なんか今の話を聞いて、これがまんざら偽物でもないって感じがしてきましたよ。しかし、これがもし本物だとすると、いったいどれくらいの価値があるんだろう」
紗江N「髪の毛といえば、広い意味では人間の体の一部だ。そういったものはいったいどんな価値が生まれるのだろうか? アインシュタインやスターリンの脳味噌は今でも残されているというけれど、値段は付いていない……」
和夫「わたしはそういった歴史上の人物の髪の毛にどれくらい価値があるかということに関しては知識がないのでなんとも言えないですが……」
男A「ええ」
和夫「エジプトのスフィンクス像にもともと髭があって、もっともこのような毛ではなくて石でできたものですが、その髭の一部がエジプトとロンドンの大英博物館に保管されているという話は聞いたことがあります」
男A「スフィンクスに髭とは驚きだな。小学生のころ国語の授業が退屈なときに、作者紹介の写真の顔に髭を書いたりして遊んだものだが、今度、暇なときにスフィンクスの写真でも見て髭の痕跡でもないか確かめて見よう」
紗江「ねえ、ねえ、そんなことはどうでもいいわ。なんとかそれが本物かどうか確かめて、価値がどれくらいあるものなのか知る方法はないの?」
じれったくなって会話に割って入る紗江。
和夫「本物かどうかを確実に確かめるんだったら、まず年代測定かなあ。この髪の毛が何年前のものかわかれば、偽物かどうかもだいたい判断できるはずだから」
紗江「これがいつのものか、なんてことがわかるの?」
和夫「うん、よく考古学とかでは炭素十四の半減期を利用した年代測定が行われているから、この髪の毛も年代測定できると思うよ。それで百年前とかなれば偽物だろうし、楊貴妃の生きていた千三百年くらい前と測定されれば本物の可能性が高い」
紗江「へー、よくわからないけどとにかくそれで本物かどうか知ることができるのね」
男A「ちょっとまってくれ」
男Aは二人の会話を途中で止めると、自分のコートの内ポケットから数枚の紙を取り出した。
男A「実はその年代測定というものはしたことがあるんだよ。これがその結果だ」
和夫に今取り出した紙を渡した。
和夫は確認してから言う。
和夫「えっ?」
何かを呟きながら結果を何度も確かめたあとに紗江にも見せる。
紗江「測定結果が千三百年前……」
紗江N「和夫も口では本物かもしれないというようなことを言っていたけど、内心は偽物に違いないと感じていたはずだから、この結果に戸惑っているのね」
ちらりと和夫の様子を伺う紗江。
紗江N「でも、髪の毛が本物だとはどうしても思えない。測定結果の数値を付きつけられて、なぜだか逆に偽物だという思いが強くなったわ」
和夫「なるほど、千三百年前ですか。それが本物である可能性が高くなりましたね」
男A「そう思うかね。わたしもその結果を初めて見たときはうれしくて涙が出たよ。父親の言っていたことは本当だったってね」
和夫「そうでしょう」
男A「だけど、どうしてもその結果だけでは百%信じることができないでいた。何らかの測定ミスかもしれないからね。だけど、今日、あなたから色々話を聞いて本物だと自信がもてるようになったよ。ありがとう」
そう言うと、立ち上がって和夫に握手を求める。
和夫は一歩後ろに下がって、遠慮がちに手を差し出す。
和夫「それはすごく価値があるものだと思いますから大切に保管されることをお薦めします。もしよろしければ、美術館に寄付するというのもいいかもしれません。そうすれば沢山の人たちに見てもらうことができますから」
男A「美術館に寄付か。それもなかなかいいかもしれないが、それだと、わたしが自分で触れなくなってしまうからね。みんなにも見てもらいたいという気持ちはあるのだけれど、好きなときに触ることができないというのは、寂しいなあ」
グラスに手をやる男A。
氷がぱきりと音を立てる。
男Aはさっと顔を上げる。
男A「いい方法を思い付いた。自分で触れて、しかも、大勢の人に見てもらえる方法を」
和夫「なんですかその方法っていうのは?」
男A「この店に飾ってもらうことだよ。お店に飾ってもらえれば、多くの人が見てくれるだろうし、ここなら、わたしも時々来て触ることができる。家は近所だからね。いい方法だとは思わないかい?」
和夫「それをわたし譲るってことですか?」
緊張でつばを飲み込む和夫。
男A「そういうことだ。いつもはわたし独りで見ていたが、やはりこういった価値のあるものは大勢の人に見てもらったほうがいいはずだし、死んだ父もそのほうが喜んでくれると思う」
和夫「……」
男A「大勢の人たちが酒を飲みながらこの宝を見て、わいわい騒いでいる姿を想像すると楽しそうに思えるだろ?」
和夫「しかし、そんな高価なものを只でいただくわけにはいかないのですが」
男A「そうですか。確かにあなたの言うとおりかもしれない、わたしもこんなものを只でもらったら気味が悪い感じがするに違いない」
和夫「ええ、だと思います」
男A「それなら買い取ってもらうという形にしたらどうだろう? それならすっきりするんではなかろうか」
和夫「買い取るって、幾らで譲ってもらえるのでしょうか?」
男A「わたしはこの宝の価値を判断できないから、高からず安からずという額の三十万円ということではどうだろうか? あなたが買い取ったあとで、実は何千万もするものだとわかってもお金を要求したりはしないよ」
男Aは穏やかな微笑を浮かべる。
紗江N「やっぱりそうだわ。間違いない。この髪の毛は偽物だ。高価なものだということをアピールしておいて私たちに買わせようって魂胆だったのよ。最初から騙そうとしていたんだわ」
男Aを睨む紗江。
紗江N「だけど、そうはいかない。そんな子供騙しな詐欺に引っかかる私じゃないんだからね」
紗江は和夫を店の奥に行くように促す。
和夫「ちょっとすいません」
和夫は一言そういうと紗江のあとに続いて、店の奥に向かう。
◎居酒屋 奥部屋 夜
男Aの姿が見えないのを確認すると小声で言う。
紗江「あの男怪しくない? きっと詐欺よね」
和夫は紗江の言葉を無視して言う。
和夫「なあ、今三十万用意できるか?」
紗江「ちょっと、どういうこと。もしかして買う気じゃないでしょうね。あんなの偽物に決まっているわ。確かに年代測定では合ってたかもしれないけどあの結果の紙自体が偽造かもしれないでしょ」
和夫「まあ、まあ、そう焦るなって。お前はまだわかってないだけだよ」
紗江「何がわかってないというの? いつものように『おまえの考えはユークリッド幾何学のように単純だ。だから理解できないんだ』とでも言うつもり?」
和夫は紗江のあまりの怒り方に戸惑い、顔を引きつらせる。
和夫「おまえの言っていることもわかるが、今回は僕に任せてくれ」
紗江「任せられないわよ。私達がどういう状況にあるかわかっているの? 三十万円なんて払えるわけないじゃない。そんな大金渡してしまったら明日から暮らしていけないわよ」
和夫「……」
紗江「大げさに言ってるわけじゃない。確かに今現時点で、手元にはぎりぎり三十万はあるけれど、これは家賃や店の食材を買うためのもの。これがなくなってしまったら、明日からどう店をやっていけばいいのよ」
和夫「君の言うことは正しいよ、確かにそうだ。だけどね、物事はもっと色々な角度から見ないと真実は見えないよ。ダイヤモンドと石炭を考えてみてよ。見た目はぜんぜん違って、価値もまったく違うけれど両方とも原料は炭素だけだ。炭素原子の配列が違っているだけなんだから……」
紗江「また難しいこといってごまかそうとしても今回はだめよ、生活がかかってるんだから」
和夫「いいかい、男が入ってきてから今までのことをよく思い出して考えてみてよ。髪の毛というひとつのことにとらわれてはだめ、全体を通してよく考えるんだ」
意思のこもった和夫の目に、紗江は目線を逸らす。
紗江N「和夫は何を言いたいのだろう? ダイヤだのよく思い出せなどと言って、意味がわからない。だけど和夫がそう言うのなら何か考えがあるのかもしれない」
紗江はこれまでの出来事を思い出してみるが、これといって何も気が付くことはない。
足の位置を変えると、床の板が軋む。
紗江「考えるとどうなるの?」
和夫「そうしたら、なぜ僕があれを買おうと思っているかわかるはずだよ」
紗江N「和夫がなんの根拠もなくこんなことを言うわけがないことは私が一番よくわかっているけど……」
和夫「……」
紗江N 「どう考えても和夫があの髪の毛を本物のお宝だと思っているとは考えられない。偽物だと気が付いているはずだ。だとすると何のために買おうとしているのだろうか? 偽物だとわかっていて買うなんてことがあるのだろうか?」
紗江「考えてもわからないわ。遠回しに言わないではっきり言ってよ」
和夫「いや、僕の口からは今は言えないんだよ。君が知ることで少々問題が生じるんでね。とにかく今回は僕に従ってほしいんだ」
紗江は下唇を噛み締めたままうつむく。
紗江N「どうしよう。確かに和夫が何を考えているのか興味はある。だけど、それが何かわからないままお金を渡してよいものだろうか? 和夫の考えが正しくないということもある。そのときは、お金はなくなってしまうのだ。文字通り一文なしになる」
そのとき、「今日はクリスマスだからいいことがあるはず」という和夫の言葉を思い出す紗江。
紗江は大きな溜息をつく。
紗江「負けたわ。何か考えがあるんだったら好きにしていいわ。ただし、後でその秘密にしていることを教えてよ」
和夫「ああ、わかってるさ。後悔はさせないよ」
そう言って紗江の肩をぽんと軽く叩く和夫。
紗江N「もうどうにでもなれ」
和夫「さぁ、向こうに行って話の続きをしよう」
紗江は軽く頷き、和夫のあとについて男Aのもとに向かう。
ふと目に写った窓の外には、枝に化粧をした木が微かに揺らいでいる。
紗江「雪か......何年ぶりかのホワイトクリスマスになりそうね」
◎居酒屋 夜
和夫と紗江が店の奥に引っ込んでから十分が経過したころ。
男Aは壁の時計に目をやる。午後十時。
まだ二人の議論は続いている。
待たされている男は苛立っている。
男AN「いったい何を話しているんだ?」
慌しくポケットから煙草を取り出すと火を点ける。
男A「あいつを選んだのは間違いだったのか? だが、下準備は完璧だったはず……三カ月前に見かけた男があいつなら間違いなくうまくいく。計画は完全で、失敗するはずがない。そう信じるしかない」
男Aの目に写るテレビの中では、サンタクロースが子供たちにプレゼントを手渡ししている。どこかのデパートのイベントのよう。小さな女の子が、自分の身長くらいもあるぬいぐるみを抱きかかえている姿がアップになる。
男A「俺も心を躍らせるようなクリスマスプレゼントを貰いたいものだな……」
そんなことを考えていると突然二人が戻って来てびくりとする。
和夫「お待たせしました。時間が掛かってしまって退屈なさっていたんじゃないですか?」
和夫は頭に手をやりながら一礼する。
紗江もできる限りの作り笑顔を見せる。
男A「いや、そんなことはないですよ。テレビを見ていましたから大丈夫です。それより、話し合いのほうはどうでした?」
男Aは不安な気持ちを悟られないように冷静さを装ってタバコをゆっくりと吸う。
指に挟まれたタバコの煙が真っ直ぐ天井に向かってのびる。
和夫「いろいろ考えたんですが、三十万円で買わせてもらうことにしました。それを飾って、店にやってくるお客さんたちに自慢させてもらいますよ」
その言葉を聞いて安心した様子で、男Aはタバコを揉み消し、残っていたウイスキーを一気に飲み干す。
男A「では、これはあなたのものだ。大切にしてください」
桐の箱を和夫に差し出す男A。
和夫から三十万を受け取ると満足そうな表情を浮かべる。
紗江はふたりの行動をいぶかしげに眺めている。笑顔はすっかり消えている。
紗江N「これで本当に一文なしになってしまった……」
和夫は男Aに負けないくらいの満足そうな表情で笑っている。
それからしばらくして男Aは、
男A「また来るよ」
という一言を残して帰って行く。
◎屋外の道 夜
外は冷え込みが激しく、雪もぱらついている。
あたりに人影はない。
男Aは帰路を急ぐ。
男A「まさか、あんなに簡単に信じるとはね。ほんと笑いが止まらないぜ」
口元が緩みっぱなしの男A。
まだ誰も踏んでいない雪の上を、はしゃぐように走る。
男A「今ごろふたりで、すごいお宝を手に入れたと喜んでいるんだろうな」
そう呟いて、口を手に当てて笑う。
男A「おそらくまだあいつは気が付いていないと思うけれど、あんなものは偽物だから価値なんてまったくない。それにしても、あの男もたいしたことないな。確かに予想以上にものを知っていてびっくりはしたが結局はだまされやがった」
雪がいよいよ本降りになってくる。
傘を持っていない男Aにとっては、数メートル先を見るのがやっとの状態。
男A「和夫さん。クリスマスプレゼントをありがとうよ」
男は寒さに身を震わせながら金の使い道を考える。
◎居酒屋 夜
紗江は男Aが帰ったのを確認すると、手に入れたばかりの髪の毛を鷲掴みにして、和夫の目の前まで掲げて見せる。
紗江「ねぇ、これをどうするつもりなの?」
和夫「あっ、それね。捨てちゃっていいよ。どうせ価値なんてない偽物だから」
紗江「なんですって? どういうことよ。偽物だとわかっていて買ったっていうの?」
和夫「ああ、わかっていたよ。最初に『楊貴妃の髪の毛』って聞いたときからね」
軽く笑顔を見せる和夫。
紗江「思った通り確信犯だったのね……」
紗江は焦らずゆっくりとした口調で、
紗江「でも最初は本物かどうかわからなかったんじゃないの?」
和夫「よく考えてみろ。あの男はあの宝を父親から譲り受けたと言っていたよね。もしそれが本当だとすると、受け取って真っ先に本物かどうか確かめたくなるだろ?」
紗江「そりゃあ、そうよね。そこが一番大切なところだもの」
和夫「だから、そのあと、いろいろ楊貴妃について調べたはずだ。だけど、あの男は僕の楊貴妃に関する話を初めて聞いたと言っていた。それはおかしいよ」
紗江「そうか、わかったわ。初めて聞いたように見せかけていたけど実はそんなことはとっくに知っていて、あなたが髪の毛の価値を判断できるかどうか試していたのね」
和夫「ああ、そういうことだろう」
紗江「それで、価値がわかりそうだったら売りつけてやろうと思ってたんだ」
和夫「うん」
紗江「だけど年代分析の結果はどうなの? 合っていたみたいだったけど」
和夫「あれは君がいった通り偽物だよ。あんな紙切れすぐに作ることができるからね。中国では唐の時代、皇后の礼装は仮髪に歩揺という髪飾りをつけ、さらに花や鳥をデザインした豪華な飾りを重ねたものだったんだ」
紗江「へえ」
和夫「玄宗帝の妃であり、絶世の美女として名高い楊貴妃も、この優雅なかつらを愛用していたわけだ。だから、楊貴妃の髪の毛があんなに長いとも思えない。きっとあれは誰か別の人の髪の毛だよ。そんなに昔のものでもないと思う」
紗江「ところで、そうだとすると、なぜ買ったりしたの? あの男はだまそうとしてたんでしょ。なのに、それを知っていて買うなんてどうかしているわ」
和夫「まあまあ、僕のねらいは髪の毛とは別なところにあったんだよ。あの男は髪の毛を見せるとき風呂敷を開け、紙の包みを開け、そして箱を取り出した」
紗江「なら、この箱に価値があるってことね」
箱を持ち上げて眺める紗江。
紗江「確かに高級そうね」
和夫「いや、この箱はもう古いし価値はないだろう。彼は騙そうとしているのにわざわざ高級な箱に入れてきたりはしないはずだろ? どっかの骨董品屋で叩き売りしているのを買ったんだよ。価値があるのは、その包み紙のほうさ」
そう言うと、和夫は箱を包装していた紙の皺を丁寧に伸ばしながら、カウンターにひく。どっから見てもただの古い紙。
紗江「えっ、こんな包み紙のどこに価値があるっていうの?」
紗江は包装紙に顔を近づけて眺める。
和夫「包み紙そのもののことじゃあないよ」
急に真剣な顔になる和夫。
和夫「男が風呂敷を取ったときはほんとに驚いたよ。まさかこんなところでそれを拝むことができるなんてね」
和夫は貼られていた切手を指差した。
包装紙には切手が四枚張られている。どれも白黒で古い。黄色くなりかけた色合いが年代を感じさせる。図柄は人物画だった。
和夫「その昭和天皇立太子礼の切手は、大正五年の十一月三日に発行されたものなんだけど、そのときの発行枚数が少なかったからすごい貴重なものなんだ。しかも、四枚張られているけど、運が良いことに消印が掛かってるのは一枚だけ。三枚は未使用としての価値がある」
紗江「えっ?」
和夫「さっきお前にこのことを言えなかったのは男に切手を狙っていることを悟られないためだよ。このことを知ってしまうとお前は絶対切手に目がいってしまうからね。そうなって、万が一にでも男が切手の価値を気にしだしたら売って貰えなくなる」
紗江「じゃあ、いったいどれくらいの価値があるの?」
和夫「はっきりしたことはわからないけど全部で数百万にはなるはずだよ。切手収集家の僕が断言する」
紗江「数百万円? すごいわ、これでお店を改装できるかもしれないわね」
紗江N「やっと私たちにも心の底から喜べるクリスマスがやってきたんだわ。どれだけこの日を待ち望んでいただろうか。悲しい毎日とさよならできる。こんなにも嬉しいことはない」
紗江「神様ありがとう。メリークリスマス」
これまでの人生で最高のクリスマスプレゼントを与えてくれた幸運の神に感謝する紗江。
テレビには、イルミネーションの明かりも消えて、誰もいなくなった町の様子が映し出されている。雪だけが、すべての温かさを消し去るように降り続けている。
◎屋外の道 夜
雪で真っ白になった男Aは身を縮めながら走っている。
白い息が小刻みに吐き出される。
古ぼけたアパートまで来ると、階段を上り、一室をノックする。
すると中から別の男が現れる。不精髭を生やした、目つきの鋭い男Bだ。
男B「おお、お前か。何をやっていた。遅いじゃないか」
男A「少々時間は掛かったがきっちり金は手に入れたぜ」
服に付いた雪を払い落としながら言う男A。
◎アパートの部屋 夜
部屋に上がるとふたりは毛布に包まり、向かい合って座ると、男Aが手に入れてきたお金を中央に置く。
部屋の中には暖房器具はなく、暖を取るには布団にでも包まっているしかない。
男B「で、どんな具合だった?」
男A「あの男はやはり俺達があそこで見た男だったよ。だから計画通りに事が運んだ」
男B「奴はしっかりお前の持って行ったあれに反応して金を払ったんだな?」
男Bは「あれ」を強調する。
男A「ああ、まったく疑ってなかったみたいだ。あれを見た瞬間の奴の顔っていったらなかったぜ。瞳孔が開きっぱなしってやつさ。今ごろ妻にあれの価値の説明でもしてるんじゃないのかな? 俺たちが作った偽物だとも知らずにな」
男B「そうか、それはお笑いだな。どうだ、さっそく次のターゲットでも決めるか?」
細い目をさらに細くして言った。
男A「まだいいんじゃないのか? 金も手に入ったばかりだしな。それにもう三人目だろ、そろそろ噂が広まってないか?」
男B「いや、大丈夫だ。収集家ってやつは手に入れた後に偽物だと気が付いても『偽物を掴まされた』なんてことは絶対言わないプライドの塊みたいな人種だ。三十万くらいじゃ黙ってるさ」
男A「それもそうだな。じゃあ、さっそく次に開かれる切手コレクターの集いに参加しよう」
終わり
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