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あらすじ

 新之助は何らかの事故で頭部を損傷し、加納真美子が外科医を務めていた病院に運ばれ身元不明者として手術を受けた。
 手術は成功したが、過去の記憶を無くし認知障害(他人の顔が覚えられない)の症状が現れた。
 しかし、他人の記憶を自分の頭にコピーしたり、記憶を書き換えたりできる能力を得た。
 そして、加納真美子とともに人の記憶を配達する記憶屋という商売を始めた。

 新之助は依頼を受け、松本美咲という女の子に小学校のクラスメイトから預かった記憶を配達した。
 それによって、美咲は手術を受ける勇気を得る。

 何ヶ月かして、新之助は山野辺康作という男に捕まえられ彼の屋敷に行く。
 そこで、新之助は山野辺が隠した鍵を彼の頭の記憶を覗いて探し出すという試験に合格し記憶屋だということを証明する。
 
 新之助の実力を認めた山野辺は、自分の娘を誘拐した犯人の記憶を覗いて、娘の居場所を確かめて欲しいという依頼をする。
 その犯人というのが、美咲の父親の松本泰造だった。
 新之助は泰造と対面する。そして、山野辺の依頼どおり娘の居場所を知るため記憶を探る。
 
 そして、山野辺が自分の娘だと言った子供が、実は美咲だということを知る。
 山野辺は美咲の体の中に宝石を埋め込み金庫として使っていた。それを知った泰造が、美咲を助けるために連れ出したのだった。
 泰造は新之助に記憶を読まれ、娘の居場所がばれたと思い急いで娘の元に行く。

 しかし、娘は無事だった。新之助は、山野辺の記憶を書き換え、野良猫が自分の娘だと思い込ませていた。
 そのため、山野辺は野良猫を連れ帰って満足していた。
 自由になった泰造と美咲は新之助に感謝する。
ま た依頼料をもらわなかった新之助は加納真美子に怒られる。


・登場人物
鈴木新之助
 十一歳の男の子。
 何らかの事故で頭部を損傷し、加納真美子が外科医を務めていた病院に運ばれ、身元不明者として手術を受けた。
 手術は成功したが、過去の記憶を無くし、認知障害(他人の顔が覚えられない)の症状が現れた。
 しかし、他人の記憶を自分の頭にコピーしたり、記憶を書き換えたりできる能力を得た。
 退院後、新之助の能力に気が付いた真美子とともに、記憶を配達する「配憶屋」の商売を始めた。
 いつも明るく振る舞っているが、内心は両親の愛情にあこがれている。

加納真美子
 有名な脳外科医だったが、新之助の能力に興味を持ち、病院を辞め、新之助を使って「配憶」の商売を始めた。
 新之助の過去の記憶を引き出そうと努力している。

松本美咲
 病気で入院し、手術を拒否していたが、新之助の運んできた記憶で勇気をもらい、手術を受ける。

松本泰造
 美咲の父親。山野辺の娘を誘拐するも、山野辺の部下に捕まえられる。

山野辺康作
 豪邸に住む金持ち。
 泰造に娘を誘拐される。泰造を捕まえるも、娘の居場所を吐かない。そこで、新之助に泰造の記憶を探らせて、居場所を知ろうとする。

配憶屋 ―memory transporter―

 雨漏りでもしそうな古い事務室。
 暖かな陽気に誘われ、新之助が机に顔を伏せて寝ている。いい夢でも見ているのか、微かに笑顔を浮かべていた。
「こらっ、新之助」
 大声で怒鳴られ、顔を上げた。慌ててよだれを拭く。
「な、何?」
「仕事の依頼だよ。とっとと行っといで」
 白衣を着た、モデルのような体型の若い女が言う。
 彼女の名前は、加納真美子。新之助を使って「配憶屋」という商売をしている。
 新之助はまじまじと真美子の顔を見た後、
「あんた誰?」
「あー、また始まったよ。ほら」
 と手を差し出す。新之助はその手を触り、臭いをかいで言った。
「真美子さんか」
「いい加減、声で覚えなさい」
「声で判断しろって言われても、感触と臭いでしか覚えられないんだもん」
 新之助は依頼内容が書かれた紙を受け取ると、部屋を飛び出した。
 真美子は、冷蔵庫からコーヒー牛乳のパックを取り出そうとする手を止めた。
「あっ、待って新之助」
「まだなんかあるの?」
「ちゃんと依頼料をもらってくるのよ」
「分かってるって。心配しないで」
 優しく微笑み、新之助は出ていった。

 ある病院の一室。面会謝絶の部屋。
 窓の外の広場では、患者たちが病気のことなど忘れて、楽しげに会話している。
 少女はカーテンを閉めると、看護婦さんが差し出した体温計を壁に投げつけた。コンクリートの壁はガラスの体温計を粉々にした。
「わたし、手術は受けないから」
「わがまま言ってちゃだめでしょ。手術が終われば、すぐに退院できるのよ」
「なんでわたしだけが、病気で苦しまなきゃいけないの?」
 大粒の涙を流して泣き出した。
 慰めようと近づいた看護婦を避けるように布団に潜り込んだ。
「出てってよ。もう来ないで」
 看護婦は、どうすることもできず部屋を出た。ドアを閉めるとき、少女を見ると布団の中で大声を出して泣いていた。
 楽しみにしていた遠足の前日に急な発作が起きて入院した。あれから一ヶ月がたった。
 誰かが歩み寄ってくる気配を感じて、布団から飛び起きると、枕元にあった漫画雑誌を投げつけた。
「もうこないでって言ったでしょ」
全く知らない男の子が立っていた。
「あっ」と声を出したときには、もう遅く、漫画はふいをつかれた男の子の額に直撃した。
「痛てててて」
 当たり所が悪く、額から血が出ていた。
「ごめんなさい、大丈夫?」
「平気だよ、かすり傷さ、へへ……」
 と言って額を押さえていたのは、新之助だった。
「お詫びにこれあげる」
 少女は恥ずかしそうに大きなあめ玉を差し出した。駄菓子屋で一個十円で売っているリボンの形の包みに入ったあめ。少女の一番好きなレモン味だ。
「看護婦さんと喧嘩してたみたいだけど、病院は嫌いなの?」
「注射も点滴も痛いから……、でも、一番嫌なのは、友達に会えないこと」
「寂しいんだ。友達と遊びたい?」
 美咲は涙を我慢しながら、頷いた。
「手術、明日なんだろ?」
「う、うん……、でも、いやなの」
「どうしてだよ。怖いの?」
 無言でうなずく。
「でも、治さないとずっとお友達と遊べないままだよ」
「で、でも……」と泣き出す。
「ちょっと、頭を出してごらん」
 そう言って新之助は手を差し出した。美咲が不思議そうな顔をすると、新之助の手のひらが微かに青色に光った。
「わあ、すごい。手の中にお月さんがあるみたい」
「磁気が発光してるんだ」
「じ、き?」
「ラジオとか携帯電話なんかの通信に、電波が使われていることは知ってるだろ?」
「うん」
「その電波を僕の脳が受信する。さらに周波数を変化させて、手の平に集中させると磁気を帯びて青白く光るんだよ」 
 美咲は意味を理解してしない様子で首を傾げた。
「それで何をするの?」
 新之助は、笑みを浮かべ、
「記憶を届けに来たんだよ。とびっきり新鮮な記憶をね」
「あ、あなた、配憶屋さん?」
 喜びの声を上げた美咲は、配憶屋を知っているようだった。配憶屋のトレードマークの一部分だけ黄色い髪を見て、配憶屋に間違いないと思ったのだ。
 新之助はそっと美咲の頭に手のひらを当てた。
新之助は、記憶を司る彼女の大脳皮質のγリズムと海馬のθリズムを自分の脳で感じていた。そして、自分の脳のリズムを彼女のリズムと同化していった。
美咲は新之助に触れられた瞬間、低い音が響いたときのような振動が、頭に流れ込んでくるのを感じた。
―よし、リズムを掴んだ。あとは、運んできた記憶のリズムで脳の神経細胞を発火させていけば、彼女の頭の中で記憶が再生される―
 美咲が目を閉じると、脳裏に人影が浮かんだ。ぼやけていた画像は、次第にピントが合っていった。
 全身に電流が流れるような衝撃を受けたのは、その人物が学校で一番仲がよかった千恵だったからだ。
 彼女はカメラで記念撮影するときのような直立不動の姿勢で、
「美咲ちゃんのいない学校はつまらないよ。早く戻ってきてね」
 辛そうに笑顔を作りながらの言葉は、短くても、心のこもったものだった。それだけ言うと、千恵は靄がかったように次第に消えていった。
 頭の中の映像だと分かっていても、手を伸ばさずにはいられなかった。
 もう終わりかと思ったら、次々にクラスの友達が浮かんできた。皆、口々に「美咲ちゃんなら大丈夫」「元気になったら、また一緒に遊ぼうね」と励ました。
 クラス全員が、美咲が戻ってくることを待ち望んで、メッセージを伝えた。
「み、みんな……」
 美咲の目には別の涙が浮かんだ。小さな手をぐっと握りしめると、そこに大粒の涙が落ちた。
 そんな美咲の姿を見て、新之助は静かに部屋を出た。
「娘は?」待っていた父親、松本泰造が話しかけた。
「もう、心配ないよ。きっと手術を受けるさ」
 立ち去ろうとする新之助を呼び止めて言った。
「新之助君」
新之助は足を止め、ゆっくりと振り返る。
「あ、あの。料金は……」
 泰造の心配を消し去るように、にこやかに笑い、
「もう、もらったよ」と、美咲にもらったあめ玉を見せた。
 泰造は一瞬笑顔を見せ、すぐに真剣な表情になって一礼をした。
 新之助は軽く手を振り、角を曲がった。
 その途端、力が抜けた。
 ため息をつき、財布の中身を確認する。百円玉が一枚しか入っていなかった。お札は一枚もない。
「かっこつけすぎたかなあ」とつぶやいた。
 
 数ヶ月後。
「君、かわいいね」
 河川敷の堤防の上で、段ボールに入った子猫の手触りを確かめながら新之助が呟いた。
 一部分だけが黄色く染められた、黒髪が風に揺れた。
「うちは貸し事務所だから、猫は飼えないわよ」と真美子が念を押す。
「そうなんだってさ。ごめんな」
 と子猫に話しかけると、愛らしい顔で腕にすり寄ってきた。
「よしよし、引き取ってもらえる人を探すからね」
 携帯電話のカメラで猫を写した。
「これでよしと」
 次の瞬間、背後の人影に気がついて、厳しい顔で振り返る。
 立っていたのは、サングラスに黒いスーツを着た、二人組の男だった。一人はラクダで、もう一人はゾウのような顔をしていた。
新之助は身構えたが、戦って勝てる相手ではなさそうだった。
「あんたが配憶屋だな。ちょっと来てもらおうか?」
 迫力のある声でラクダの男が言った。
 ファイティングポーズを取る新之助を押しのけて、真美子が言った。
「アポなしの依頼は、値段がはるわよ」
 
 真っ黒な車で連れていかれたのは、大きな門のある屋敷だった。
 新之助と真美子は、高級そうな絵画やら彫刻やらが、いくつも置かれた広い洋風の部屋に通された。
太った成金風の男が、
「あんたが噂の配憶屋か、若いな」
「まあね」と新之助。
 真美子が言う。
「あんた、金を借りたい人に保証人を紹介する裏家業で有名な山野辺ね。私達に何の用?」
「人の記憶を運んでくれると聞いたが……」
「違うね」
真美子が答えようとするのを止めて、新之助が真剣な表情で言う。
「人だけじゃない、生き物だったら何でもだよ。ねずみの記憶だって運ぶさ。僕は記憶をいったん自分の頭にコピーし、渡したい相手の頭にダウンロードできる。まあ、記憶のフロッピーディスク、いや、ハードディスクってところだよ」
「って、どこに向かって話してるのよ」
 新之助は、ギリシャ彫刻を山野辺だと思って話していた。
「こっちよ。こっち」と向きを直させる。
「新之助は人の顔を覚えられないので……」
驚いた表情を浮かべていた山野辺は、肩の力を抜いてソファに座り直した。
「依頼の件だが、あの金庫の鍵をどこに隠したのか忘れてしまってねえ」
 背後の金庫を親指で指す。特別注文で作られたもので、見たこともないくらい大きな鍵穴がついていた。開けるにはそうとう巨大な鍵が必要だ。
「わしの記憶の中から鍵のありかを読みとって探してくれないかな」
「ふーん、面白そうだね。やってみるよ」
 新之助は腕まくりをして、準備体操のつもりで手首を回した。そして、精神を集中させるため目を閉じた。ゆらゆらと手を伸ばし、山野辺の頭にかざした。次の瞬間、手のひらが青白く光った。
 目を開けると、新之助は何事もなかったような態度で、
「さてと……、失礼するよ」
 と言って机の上に立ったと思ったら、思い切りジャンプした。
「お、おい、何をする」
 頭上のシャンデリアについている鍵型の飾りの一つをつかみ取った。
 飾りに見えていたものは、異常に大きな鍵だった。宝石の装飾が施された立派なものだ。
「みーっけと」
 山野辺は新之助の行動を黙って見つめた。
 鍵をくるくると回しながら金庫まで歩き、「はいよっと」と鍵穴に鍵を差し込んだ。
 依頼人に向かって軽くウインクを一発。
 しかし、開けようとしても鍵が回らない。ムキになって力を入れるがまったく動かない。
「あれっ、おかしいな……」
 黙って見ていた山野辺はにやりと笑い、口を開こうとした、が遮るように新之助が言った。
「なんちゃってね」
「えっ?」
 新之助は鍵を床にたたきつけた。すると、鍵は二つに割れ、中から別の小さな鍵が出てきた。安っぽいどこにでも売っている鍵だ。
「ほーら、出てきた」
 それを取って金庫に近づき、人差し指で金庫の表面をなぞった。しばらくして、指を止めると、その部分をはぎ取った。中から手に持った鍵が入りそうな穴が現れた。
「ゲッチュ」
 鍵を差し込むと、今度は簡単に回った。
 開いた金庫の中には、札束がぎっしりつまっていた。
「こんな感じで、どうでしょう?」
 かわいくポーズを決めた。
「わはははは、面白い。合格だ」
 山野辺は金庫の札束をいくつか取って机に積み上げた。
「申し訳ないが、君を試させてもらった」
「試験だってことは知ってたよ。こんな手の込んだ隠し方をしておいて、本人が忘れるはずがないからね」
新之助が本物の配憶屋だと確認した山野辺は、背筋を伸ばした。
「一週間前、俺の娘が誘拐され、身代金を要求された」
「あら」真美子が興味を示す。
「警察には知らせず、部下たちに探させて、犯人は捕まえた」
「それは、よかったわね」
「だが、一つ問題があってな……」
「問題?」
「娘の居場所が分からない。口の堅いやつでね。問いつめても知らないの一点張りだ」
「その男の頭から、あなたの娘さんが監禁されている場所の記憶をコピーして、渡してくれってことですね」
「そういうことだ」
 机に積まれた札束を指さした。
「一千万ある。成功報酬だ」
「へえ、娘さん思いなことで」
 真美子は平静を装っていたが、内心はうれしさで飛び上がりたかった。
「やるのか、やらないのかどっちだ?」
「もちろん、やりますよ。お金がなくて三日も何も食べてないんでね。仕事を選んでいる場合じゃないんですよ。ねえ、新之助」
 新之助は軽く頷いた。
「簡単そうな仕事だから、わたしはもう帰るわね」
 真美子は、部屋を出る直前で立ち止まって言った。
「報酬、必ずもらってくるのよ」
「わかってるって」
「絶対よ。もらってこなかったら家に入れないからね」
 真美子がいなくなった後、山野辺は黒い二人組に合図した。
「おい、案内してやれ」
 
 赤い絨毯の引かれた廊下は、ランプで照らされていた。
「あっ、どうもこんにちは」
「何やってる。それは彫刻だ」
「これも彫刻?」
 指でつついてみた。
「ほんとだ。冷たくて堅い」
「ここだ、入れ」
「はいはい」
 中に入ると目に飛び込んできたのは、傷だらけの男だった。椅子に手足を縛り付けられている。拷問を受けていたようだ。
 男は新之助を見て言った。
「配憶屋を呼んだか。あいつも考えたな」
「僕のことを知っているの?」
「そうか、顔を覚えられないんだったな。俺は松本泰造だ。娘の件であんたに依頼した」
新之助は、男の手に触れ、彼が手術を拒否する娘を助けてくれと訴えてきた人物だったことを思い出した。
―娘の名前は確か千春だったな―
 もらったあめの甘酸っぱい味を思い出した。
 男は、以前のような希望にあふれた顔ではなく、死人のような覇気のない顔をしている。
「美咲ちゃんは元気?」
「ま、まあな……」と目を伏せた。
 しばらくの沈黙の後、新之助が口を開いた。
「本当に山野辺さんの娘さんを誘拐したの?」
「ふん、あんたに嘘をついても無駄だから言うが、誘拐したというのは本当の話だ。一週間前に、隙をみてな」
「どうしてそんなことを……、誘拐だなんて、あなたの娘さんが悲しむよ」
「これ以上あんたと話をするつもりはない」
 男は悲しい目を配憶屋に向けた。
「なら、記憶を覗かせてもらうよ」
 いつものように軽く指の運動をして、手の平に磁場を作る新之助。
 抵抗する泰造と新之助は格闘になる。
 しかし、怪我をしている泰造は結局倒れ、新之助の手が頭に伸びる。
 泰造は記憶を吸い取られるのを感じながら、もうどうにでもなれといった、ふてくされた表情であらぬ方向を見ていた。
「誘拐した娘さんの居場所の記憶、確かにコピーさせていただきました」
「あんたのせいで、もうおしまいだよ。何もかもが……」
 用が済んだと、新之助は立ち上がる。
「僕は配憶屋という商売をしているけど、自分の記憶はないんだ。どこで生まれ、どうやって育ったのか、まったく知らない。もちろん親の顔も覚えてない。記憶があるのは、真美子さんと暮らすようになった一年前からだけ」
「ほう、お前も苦労してるんだな」
「でも、記憶のないころから、僕は今と変わらない僕だったと思うよ。人の考え方や性格は簡単に変わるもんじゃない。でしょ?」
 とドアの所で振り返って笑顔を見せた。
 泰造は新之助の言葉の意味がよく理解できず、不思議そうな表情を浮かべた。

「記憶は手に入れたか?」
 埃を撒き散らすようにソファに腰を落とした配憶屋に依頼人が言った。
「簡単な仕事だったよ」
「じゃあ、すぐに渡してもらおうか」
「ちょっと、待って」
 頭を差し出す男を制して言った。
「記憶を渡したら、捕われている男を自由にしてやってくれない?」
「ばかな。娘を誘拐した犯人だぞ。そう簡単に逃がすわけにはいかない。」
「じゃあ、さらに、報酬の一千万はいらないと言ったら?」
 新之助はお金を男のほうに押し戻した。
「お前、何を考えてる?」
「あの人、血だらけになって、かわいそうだなあと思っただけさ」
「ほう、博愛主義者ってわけか。まあ、いい。この際、娘さえ戻ってくればいいとしよう」
「よし、交渉成立だね」
 新之助が手を差し出すと、山野辺は喜んで頭を向けた。
手の一部が青白く光り、山野辺は目を開けた。記憶はすでに伝わっていた。
「ははあ、なるほど、あそこか……」
「おい、お前ら、すぐに行くぞ」
「あんたらにも、同じ記憶をあげるよ」
 新之助は、二人の部下の頭にも手をかざし、記憶を与えた。
「俺たちは、娘を探しに行くから、とっとと誘拐犯を連れ出して、帰りな」
「はいはい」

「ねえ、泰造さん。帰ろうよ」
 ドアが開いたと思ったら、いきなり新之助が現れた。予想していない出来事に男は驚いた。
「何してる?」
「豚さんが、もう帰っていいってさ」
 縄を解きながら言った。
「あいつは?」
「僕が記憶をあげた途端に、走って出てったよ」
「くそっ」
 怒りに震え、泰造は飛び出していった。
「あ、ちょ、ちょっと待って」
 新之助の声など耳に入っていない泰造は、振り返らず走った。拷問で受けた傷からは、まだ血が流れていたが、痛みなど忘れているようだった。

 泰造は全力で走り、ある廃墟に駆け込んだ。額からは汗が流れ、足には血が流れていた。
 二階まで走り、ある部屋に飛び込んだ。
 窓の外を眺める少女に駆け寄りながら、「千春」と叫んだ。
 振り向いたのは、一年前に新之助が手術を受けるよう励ましの記憶を運んだ女の子だった。
「無事だったか千春。よかった」
 抱きしめながら言う。
「さあ、早く逃げよう。あいつらが来る」
 手を引いて急がせた。千春は不安げな顔になり、今にも泣き出しそうだった。
「その必要はないよ」
 突然、どこからか聞こえてきた声。千春と泰造は、びくりとして声のする方を見た。
「お、お前は……」
「毎度おなじみの配憶屋でーす」
「お、お前、追いかけてきたのか……くそっ」
 泰造は崩れたコンクリートの陰から何かを取り出した。そして、素早くそれを新之助に向けた。泰造が握っていたのは、黒光りする銃だった。
 新之助は、それが銃だとはわからずに近づいた。
「脅しじゃない、本気だぞ。俺は娘を連れて逃げる。じゃまする奴は殺してやる」
「殺すって、僕を?」
 その瞬間、泰造の銃から飛び出した弾丸が新之助の肩に当たる。
「銃か……」
 新之助は泰造の持っている物が銃だと気づき、肩を押さえてうずくまる。起きあがろうと体勢を整えている間に泰造は目の前まで来ていた。
「あんたには恩があるが……。かんべんしてくれ」
 新之助は、泰造の足に触れた。
「この感触、香り。僕にはあなたの顔が分からない。だからこそあなたの心が分かるんだ。やっぱり、あなたは半年前と同じ、優しい心を持った泰造さんだよ」
 熱を込めて言う新之助。
「……」
 銃を下ろす泰造。
「僕はあんたの娘を連れに来たんじゃないんだ」
「……」
「どうしてあなたは自分の娘を、あの男から誘拐しなければいけなくなったの? 誘拐したのは、豚男の娘じゃなくて、あんたの娘だろ?」
「さっき記憶を覗かれたか」
「ええ、まあ。少しだけだけど」
「しかたがない、すべて話すよ」
 男は崩れたコンクリートに腰掛けた。
「娘が手術を受けたとき、俺は無職だった。だから治療費が払えなかった。どうしようもなかった俺は、知り合いだったあの男に相談したんだよ」
「なるほど」
「あいつは、快くお金を出すと言ってくれた。しかしだ。こともあろうにあいつは、金は返してくれなくていいから娘をくれと言ってきた。娘を渡すなんてとんでもない話だと思ったが、その条件をのまないと金は出さないと言われたんだ」
「それで、渡したんですか……」
「ああ、手術を受けなかったら娘は死ぬ……、娘が幸せになれるのならと提案を受け入れた。しかし、あの男はとんでもない悪魔だったんだよ」
 男は頭をかきむしった。
「金庫に高価な宝石をしまっておくのは不安だと、手術のときに娘の体に貴金属を埋め込んだんだ。娘は金庫として利用されていたんだ」
「……」
「娘が何度も入退院を繰り返していると知って、様子を確かめようと病院に忍び込んだ。そのとき、医者が電話であいつと話しているのを聞いてそれを知った。知ったときのショックは計り知れなかったよ。自分の大切な娘が金庫にされているなんてな。だから、俺は娘を取り戻すことにした。これ以上、娘が物として扱われるのは我慢できなかったんだよ」
「……」
「あいつは、三日前に俺を捕まえて言ったよ『宝石はどこだ』ってな。娘の体を心配していたんではなく、財宝を無くすことを恐れていたんだ」
「まだ娘さんの体の中には宝石が?」
「恐らく入っているだろう」
 ちらりと千春のお腹を見た。
「どうして追っ手がこない? あんたはあいつにこの場所を教えたんだろ?」
 新之助は何食わぬ顔で、
「実を言うと、僕は記憶をコピーすることよりも、書きかえることのほうが得意なんだ」
 と言うと、ポケットに手を突っ込み何かを探した。
「あいつの娘がこの子だってことに記憶を書き換えた」
 開いた携帯電話の写真画面を見せた。

山野辺は車から降りると、河川敷の堤防を走った。そして、目的のものを見つけると声を上げた。
「おお、こんなところにいたのか」
 駆け寄り、
「かわいいねえ」と手を差し伸べた。
 その先にはダンボールがあり、中には猫が一匹いた。
「わたしのかわいい娘。もう離さないよ」
 護衛の二人は涙を流して、「よかった。よかった」と拍手をした。

「あいつは猫を自分の娘だと思っている。あんたの娘を金庫にしていたことなんか、記憶から消え去っているさ」
 新之助の言葉を聞いて、泰造は千春と顔を見合わせた。
「動物愛護家として、財産をすべて慈善団体に寄付するだろうね」
 男はゆっくりと新之助に歩み寄った。
「助けてもらったのに銃で撃ったりして申し訳ない」
「気にしなくていいよ。やっぱり、あなたは何も変わってなかった」
「新之助君は両親の記憶がないって言っていたけれど、きっと両親は今でも君のことを愛しているに違いない。いつかきっと、君を迎えに来る。両親の顔がわからなくても、君ならきっと気がつくさ」
 新之助は笑顔で頷いた。
「報酬は娘の体から宝石を取り出して払うよ」
「いらないよ、二人の生活資金にして。命がけで娘さんを助けたんだ。その気持ちがあれば、きっといい仕事も見つかるさ」
「ありがとう。二人で幸せに暮らせるよう努力するよ」
 新之助の携帯電話が突然鳴った。
 出た途端に怒鳴られる。
『新之助、どこにいるのよ。依頼人から一時間も待ってるって苦情の電話が有ったわよ』
「やべっ、次の依頼人と待ち合わせてたの忘れてた」
「すいません。今すぐ行きます」
 走りだそうとした新之助を呼び止めて、千春が言う。
「配憶屋さん、また会える?」
「さあ、どうかな。僕は忙しいから」
「そう……」残念そうに言う。
「でも、今度会ったときは配憶屋さんじゃなくて、新之助って呼んでよ。みんなそう呼んでるから。じゃあね」
 新之助は一人になってから呟いた。
「また、報酬をもらい損ねちゃったよ。家に入れてもらえるかなあ」

 END