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すいりまんが

「おかしいなあ。さっき電話したときはいたのに」
 僕、鈴木太郎は姉である祐子のアパートを訪ねたのだが、何度呼び鈴を押しても返事がない。誘っておいて、留守だなんてどういうわけだろう。
 仕方なく、合い鍵を使って勝手に入ることにした。
 ワンルームの部屋は昼間だというのに薄暗く、人のいる気配はなかった。僕はただ一カ所、電気の付いていたユニットバスに近寄った。
 もしかしたらトイレに入っているのかもしれないと思ったわけだが、ドアが開いているのが不自然だった。いくら一人暮らしだといっても、トイレで用をたすのにドアを開けたままにするはずはない。
 それは、何年も一緒に暮らしていた自分が一番よく分かっていた。
「お姉ちゃん……」
 そっとドアを覗いた。その刹那、周りの空気が一瞬でなくなってしまったように息が止まった。
 姉は、シャワールームで倒れていた。背中の下の方に刺されたような傷があり、流れ出た血が排水溝に向かって太い線を作っていた。
 頭の中が真っ白になって何も考えられなくなった。
 肌を触ってみると、堅くて冷えていた。生命が感じられない。
「お姉ちゃんが殺されている……、嘘だろ」
 最初の数ページで殺人が起こる。しかも、美しい女性?が。推理漫画のありがちなパターンだけど……単純すぎないか? ここで読むのをやめられてもしかたがない。
 肌の色はまだ赤みを含んでいる。刺されてから、あまり時間が経過していないせいだろう。
 出続けていたシャワーを止めると、慌てて警察に連絡した。
「午前十時か……、朝起きてシャワーを浴びている時に刺されたんだろうか?」
 風呂場に戻って考えた。
「待てよ。何で僕が推理しなくちゃいけないんだ?」と我に返る。
「犯人を捜すのは警察の仕事だ。漫画だったら、僕のような中学生だろうが小学生だろうが、決められたページ、いや時間の中でてきぱき推理するんだろうけど、僕は探偵でもなければ、IQ200の天才でもない」
「能力がないのは、探偵役にしては平凡なキャラだからしかたがない。そう描きやがった作者のせいだ。とにかく警察がくるのを待とう」
 部屋に戻ろうとしたとき、風呂の周りに変な模様が付いているのに気が付いた。よく見ると足跡のように見えた。しかし、それはどれも赤ん坊の足くらいに小さかった。
「赤ちゃんが歩いていた? まさかねえ」
 赤ちゃんなど、部屋のどこにもいなかった。
 近所の赤ちゃんが姉を殺して逃亡。考えられない話だ。いくら漫画だからって読者をなめちゃいけない。
 足跡を観察していたらあることに気が付いた。人間の足の指は普通五本だが、目の前に残っている足跡はすべて三本指なのだ。
「三本の指をした赤ちゃんが犯人……」
 口走って、すぐにバカな考えだと思い直した。
「あーあ、やっぱり探偵にはなれないな」
 苦笑いをしていると、いつの間にかに背後に人が立っていた。
「あーっ」
 驚いて声を上げると、相手の男も同じように声を出して驚いた。
「あ、あんた誰だよお」
「びっくししたなあ。君は祐子の弟だろ。話はいつも聞いてるよ」
 びっくし?
「俺は加宮谷京一郎。祐子の幼なじみで、同級生だよ」
 何だこの説明口調は、いくらページが少ないからって設定を説明する手間を省くなよ。
 それにしても、姉貴の幼なじみで同級生。そして、僕(鈴木太郎)とは比べものにならないほどの凝った、仰々しい名前。まさに探偵役じゃないか。
 まてよ。だとすると、僕はワトソン役ってことになるのか?
「あのう。もしかして探偵をやったりしてません?」
「えっ、よく分かったね。僕がかの有名な高校生探偵の加宮谷京一郎だよ」
 やっぱりかよ。しかも、自分で有名だって言ってるし。
 この調子だと、これから現れる刑事さんは彼の知り合いで、「あっ、加宮谷くん、また会ったねえ。こないだの事件はありがとう。君の活躍がなかったら解決してなかったよ」なんていう、加宮谷のすごさを引き立たせる会話が繰り広げられるんじゃないだろうな。
 だいたい、刑事が高校生を頼りにするわけないのに……。
「事件現場はここですか?」
 小太りの刑事が汗を拭きながら入ってきた。五十代前半といったところだろうか。目尻に刻まれた無数のしわが、刑事という職業の過酷さを物語っている。
「あれっ、京一郎じゃないか」
「お父さん」
「お、お、お、お父さん?」
 父親が警官で、それを利用して行動しやすくなるという寸法か。そのパターンもあるな。 
「はいはい、もうそれ以上はいいから、とっとと現場検証して」
 無駄を省こうと刑事を急かせた。
「せっかくの休みだったから、映画にでも誘おうと思ってきたのに、こんなことになるなんて……」
「あんたも名探偵だったら、姉ちゃんが殺される前に犯人を止めてよね」
 京一郎が、殺される前に犯人をつきとめて、犯行をやめさせたりなんかしたら推理漫画にならないだろっていう白けた目を向ける。
「事件現場は、バスルームか。あなたが第一発見者?」
「ええ」
「鍵は?」
「掛かっていましたけれど、合い鍵を持っていましたから」
「なるほどね。兄弟なら合い鍵を持っていてもおかしくないか……」
「まさか、僕が犯人だと?」
「まず第一発見者を疑うっていうのが鉄則ですから」
 僕と刑事が推理漫画でありがちな会話をしている最中、京一郎は、風呂場や部屋の窓を調べていた。僕もさっき調べたが、すべての窓に鍵がかかっていた。
「部屋の窓と風呂場の小窓の鍵は内側から掛かっていた。そして、玄関も鈴木君が開けるまでは鍵が掛かっていた。つまり、人が出入りすることはできなかったということですね」
 肘に手を当て、顎を指で挟んで言う。
「これは、まさしく……」
 京一郎がうれしそうに言おうとするのを僕は制した。
「その先のセリフを吐いたら、読者は『またかよ』って怒ってこのページを破り捨てちまうぞ」
 僕だって姉ちゃんの死体を発見したときから気がついていたけれど、言わずに我慢していたんだ。口に出させないぞ。
「密室殺人だ」と刑事がぽつり。
「あんたが言っちゃうのかよ」
 まったくもって手に負えない連中だ。
「密室だとかくだらないこと言ってないで、まじめに現場検証してよ。指紋採ったりさあ」
「できないよ。道具持ってないから」
「もう、何で一人で来るんだよ。普通、鑑識の人たちがぞろぞろやってきて、いろいろするだろ」
「……」
「分かったよ。それがパターンだって言いたいんだろ。もう何も言わないよ」
 何でこう推理漫画に出てくる警察は当てにならないんだろう。

「この足跡はなんだろう。赤ちゃんのようだが……、いや、指の跡が三本しかない。ま、まさか小さな宇宙人? 手のひらサイズの緑色の宇宙人が、包丁を持って……」
「違いますよ。父さん……」
 始まったよ。漫才で言ったらぼけとつっこみ。刑事の間抜けな推理のあとに探偵の名推理。
 それにしても、どうして宇宙人の色を緑って決めつけるんだ?
「いいですか、手を軽く握り、縁に軽く土を付ける。そして、白いところに判子のように押しつける。さらに、指で点を三つ付けたら……」
 京一郎は話しながら実際にやって見せた。
「すごい、同じものができた」
 そんなんで関心するなよ。僕だってそう思っていたよ。でも、探偵の京一郎が言うまで言っちゃいけないっていう雰囲気ができあがっていたから黙っていたんだよ。
「ねえ京一郎さん。密室の謎は? どうやって犯人は部屋から出たの?」
「さあ、それはまだ分かりません」
 でたよ。最後の謎は最後まで明かさない作戦。僕はただ早く犯人を知りたいだけなのに。早く解決してくれないかな。
 まてよ、ここまででもう物語の半分は過ぎた。登場人物は、僕と姉ちゃんと、刑事と探偵。最後に突然新たな登場人物が現れて、「わたしが犯人です」、なんてことになったら、それこそページを破って燃やされてしまう。
 姉ちゃんは間違いなく死んでいるし、自殺するような人じゃない。だとすると、刑事か探偵が犯人。どちらとしても意外な犯人じゃないな。ありふれてる。
 こまった、これじゃあ意外な犯人と意外なトリックを求める読者を満足させられないじゃないか。
「まさか、僕?」
 事件を語っている本人が犯人なんて古くさい手法、いまごろやったら、ポアロに殺される。絶対にありえない。
「変なこと呟いて、悩み事か?」
「ええ、これから先のことについて……」
「あんたも大変だねえ」
「しんみりしている場合じゃないですよ。刑事さん。さっさと犯人を捕まえてください」
「……」
 京一郎は相変わらず考え続けているし、こうなったら、自分で推理してやる。
 そう意気込んで、まず密室の謎を京一郎より早く解くべく、最初に目に入った風呂の窓の鍵を調べた。
「この小窓。三日月型の鍵が痛んで緩くなっている」
 僕はある考えが閃いて、京一郎に言った。
「窓の鍵なんですけど、途中まで鍵を下ろしておいて、勢いよく窓を閉めたら鍵は掛かりますよ」
「犯人がその窓から今君が言った方法で逃げたって言うの?」
「はい」
「こまるなあ、これだから素人さんは。その窓は人が出入りするには小さすぎるでしょ? 逃げられるのは赤ちゃんくらいですよ」
 とバカにしたように言う。
 しまった。これでは、刑事と同じだ。自分がぼけ役になってどうする。
「じゃあ、えーと、えーと」
 戸惑っていると、そろそろ時間だよ。と言わんばかりに、京一郎が口を開く。
「事件解決じゃーん、みなさん、居間にお集まりください」
 な、な、な、ついに推理の時間か?
 適当な決めゼリフをはいて関係者を一つの部屋に集める。一番オーソドックスなやり方じゃないか。もっと考えろってえの。
 しかも、決めゼリフが「事件解決じゃーん」って、もっと、ひねらんかっちゅうの。これじゃあ、アニメ化されたとき困るぞ。
 まあいい、とうとうクライマックスってことだ。黙って京一郎の推理を聞こう。
「みなさん、今回の事件は、小さな宇宙人の犯行に見せかけ、密室を作るという幼稚、かつ、不自然な事件でした。しかし、見方を変えればありふれた単純なものです」
「確かに風呂場で刺殺なんていうのは、目新しくも何ともないですからねえ。三流の推理漫画の設定ですよ」
 思いっきり嫌みを込めていったのだが、京一郎は動じなかった。
 よく考えてみると、犯人が小人の足跡のトリック、いや、お遊びをしていった狙いは何だったんだろう。
 あんな小細工をしても、ほんとうに犯人が小人だと思うわけもないことは分かっていたはずだ。まったくの無駄な偽装工作をした意味が分からない。
 殺してすぐに逃げるのが普通だ。足跡を作っている間に誰かが来たらどうしようとか思わなかったのだろうか?
 しかし、犯人は刑事か京一郎の二人のどちらかだということは確信している。ただ単に、他に登場人物がいないというのが理由だが……。
「単純だって言うなら早く密室の謎を教えてください」
「そう焦るなって、ワトソン君」
 僕はいつからワトソンになったんだ?
「焦らさないで教えてくださいよ」
「はいはい」
 やれやれといった感じで京一郎がゆっくりと腕を組んだ。
「この部屋は密室とはいえなかったんですよ」
「はっ?」
 密室のトリックは、大きく分けたら次のようになるだろう。
@犯人は部屋に入らなかった
 1.殺人のように見える偶然の死
 2.遠隔操作による殺人
 3.機械仕掛けによる殺人
 4.殺人のように見える自殺
 5.殺害時刻を実際より後に見せかける
 6.室外にいる人物による殺人
 7.殺害時刻を実際より前に見せかける
A犯人は部屋から脱出した
1. 出入り口に仕掛けをした。
2. 秘密の抜け道があった。
B犯人は部屋から脱出していない。
1. どこかに隠れている。
2. 中に入ってきた人に紛れ込む。
3. 中に入ってきたときに殺した。
 この中に当てはまらないってことか? 確かに密室じゃなかったというのは分類されてないけれど……。
「犯人は最初から密室を作るつもりなどなく、普通に部屋に入り、目的の人物を殺した。それだけです」
「何か矛盾してない? 結果的に密室になったんだから、密室殺人じゃないか」
 密室という言葉を平気で使うようになった自分が少し恥ずかしかった。
「じゃあ、説明しましょう。犯人は被害者を訪ねてきた。被害者は犯人が知り合いだったから迷わず中に入れた。そして、次がポイントなんですが、被害者は風呂に入っています。普通、人が訪ねてきているのにシャワーなんて浴びないですよ」
「なるほどね」
「ということは、訪ねてきてもほったらかしにして風呂に入ってしまえる関係だった人物が犯人ということになります。つまり、犯人は……」
「犯人は?」
「あなたです」
 と僕のほうを指差した。
 振り返ってみても僕しかいない。
「何で? 僕は違うよ」
「とぼけないでください。あなたしか犯人はいないんです」
「ちょっと、ちょっと、何だよ。その手抜きな説明は。僕が殺して、自分で警察に通報したってこと? そんなばかなことするわけないだろ」
「自分で通報すれば、まさか犯人が通報してくるわけないと逆に疑われなくなると、その幼稚な頭で考えたんでしょ?」
「残りページが少ないからっていくらなんでも、強引過ぎるよ。何で僕が姉ちゃんを殺さないといけないんだよ。それに、何であんな小さな足跡をつける必要があったんだよ。説明してみろ」
「……」
「ほらみろ、分からないんじゃないか。結局は、もう終わりが近いから適当に犯人を指摘しとけってことだろ? 僕はその手には乗らないよ」
「往生際が悪いぞ。署まで来るんだ」
 刑事が僕の腕を強引に引っ張る。
「嘘じゃない。違うって、僕は何もしてない。誰か、本当の名探偵を呼んできてくれー」
「さあ、行こうか。これでまた一つ事件が解決だね。『姉ちゃん浴槽殺人事件』とでも名前を付けておくか」
 京一郎は自慢げに語りながら、刑事と一緒に僕を引っ張った。
 ほんとうにこいつはばか探偵だ。密室の謎が解けなかったからって僕を犯人にするなんて、これで読者が納得すると思ったら大間違いだぞー。
「離せー、あと二ページ追加して、自分で推理してやるー」
 入り口のドアから連れ出され、扉が閉まる瞬間、僕の目にはとんでもないものが飛び込んできた。
 小さな、小さな、そう、風呂場に残った足跡にぴったりの三本指の小さな宇宙人? が包丁を持ってテクテク歩いているではないか。しかも、包丁は真っ赤に染まっていた。
 そういえば、凶器も見つかっていなかった。
「ねえ、刑事さん」
「何だ。まだわめいてるのか」
「合ってたよ推理。あんたの小さな緑色の宇宙人が犯人っていう推理があってたんだって。部屋に宇宙人がいたも」
 やられた。あいつは、姉ちゃんを殺したあと、ぬいぐるみの山の中に隠れていたんだ。つまり、分類のB-1『犯人は部屋の中に隠れていた』が密室のトリックだったんだ。
 一応背景の中に書き込まれていたから、最後にいきなり登場したわけではない。読者の印象に残らないように地味に描写されていた。
 つまり、登場人物は僕と姉ちゃんと刑事と京一郎の四人ではなかった。名前の分からない宇宙人もいたのだ。気がつかなかった。
「早く捕まえてよ。手のひらサイズの宇宙人を、緑の宇宙人を」
「……」
 刑事も京一郎も僕の言うことなど相手にしていなかった。
「そんなバカにした目で見るなよー、本当なんだってー」
 僕は頭がおかしくなったんじゃない。誰か信じてくれー。
END